わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

あろうとする姿勢 花岡修平 「真我が目覚める時」

*この記事はとても短い。これで全文なのか、それとも記事の一部なのか、今となってはわからない。

 

在ろうとする姿勢

 

善人になろうとしなくていいのです。

善人になろうとするのは、悪人であると断定しているのです。

いつだって善人であろうという姿勢でいるのがいいのです。

 

神の恩寵を手に入れようとしなくていいのです。

それは得ようとして成就するものではなく、与えられるものです。

いつだって、神の恩寵を頂けるものものであろうという姿勢で

いるのがいいのです。

 

それに成ろうとしなくていいのです。

既にそれであるのですから。

いつだって、それであろうという姿勢でいるのがいいのです。

 

いつも、どんな時も、座っている時も、日常においても、

ハートに気づいているのがいいのです。

幸せは、愛は、そこからやってきます。

 

何がつまらないものか、何が喜ばしいものか、それでわかります。