わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

提案

このブログは、ある少数の読者の方々に、恐ろしいほど熱心に読まれている。

 アクセス解析をしてみると、その様子が手にとるようにわかり、いかに花岡さんの言葉が人々の心の奥深くまで届くか、驚くばかり。

 みなさん、携帯で、ipad で、PC でと、暇さえあれば読んでいる感じがする。ほとんど「本」として読まれていると言っていいかもしれない。

 しかし、これは「ブログ」であり、本とは異なるいくつかの機能をもっている。そのひとつが「コメント欄」。

 ここに記事を読んだ方々の「感想」「疑問」「報告」等が書き込まれることにより、読んでいるのは自分だけではなく、他に多くの人々がいることを実感することになる。

 疑問を書き込んだところで、それに「正解」を与えてくれる花岡さんは、ここにはいない。「それ」は、実際に覚醒し悟った人にしかわからない。

 しかし、その「疑問」や「感想」を読んだ人々に「何か」を与えるきっかけになるかもしれない。あるいは、ちょっとした誤解にすぎなかったことを誰かが指摘してくれるかもしれない。

すでに多くの知識と深い体験をお持ちになっていて、あとは「きっかけ」さえあれば、覚醒に至る方々も読んでくださっているかもしれない。そういう方々から、アドバイスをいただけるかもしれない。

花岡さん自身が言っていたように、何が「機縁」になるかわからない。

 私がこのブログをつくった理由は、花岡さんの言葉を「覚醒と悟りを求める人々」のための「共有財産」にしたかったから。その「共有」の「力」を発揮させるために、どうか「敢えて」コメントしていただきたい。自分のため、そして他の読者の方々のために。

 

 【12月17日追記】

ある読者の方から、「コメント欄が見当たらない。」というメールをいただき、確認したところ、なんと「ゲスト・コメント不可」の設定になっていました(!)。大変、失礼いたしました。今までまったくコメントがなかったのも当然ですね。設定を直しましたので、これから、どんどんコメントしてください。

 

*この「小さな事件」は、私にある「気づき」を与えてくれました。

1)もし、私が「コメントしてください。」と書かかなかったならば、「コメント欄が見当たらない。」と指摘してくださる方も現れず、永遠にそのままだったろう、ということ。つまり、書くことが、「それ」に気づく「機縁」になったということ。

2)自分で何かを求めていながら、じつは「設定」が「拒否」になっているという内部矛盾は、他の場合でもけっこうあるのではないか。たとえば、覚醒したい、悟りたいと思っているが、じつは、心の奥深くでは、それを拒否しているという自己矛盾が。

 

*何かありましたら、下記のメールアドレスへご連絡ください。

 連絡用メール:hightime8899@outlook.com