わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

 サムサーラ(輪廻) 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんからいただいた記事です。
 
サムサーラ(輪廻)
 
本当は唯ひとつの世界があるだけで、
そこは方向など無く、果てなど無く、どこまで行っても真ん中で、
何にも無いけど、
あらゆるものがそこにある。
というより、
あらゆるものはそこにしかない。

そこで何かが夢を見る。
唯ひとつの世界の、ある断片が、夢を見る。
長い長い、気の遠くなるほど長い夢。
何億年、何十億年という長い夢をみる。

その夢は、数かぎりない物語で作られていく。
ひとつの夢が終わり、また別の夢に引き継がれる。

夢を見ている者は、ある物語では多くの人を殺し、仇討にあって物語を終えたかも知れない。
それで、次の物語では、前の物語で殺す事の罪を学んだ事で、命を救う夢を見るかも知れない。

大富豪の夢も見たかも知れない。
惨めなシュドラーの夢にも生きたかも知れない。

人を愛し、愛される夢も見たかも知れない。
別の物語では、愛を受け入れられない辛さを生きたかも知れない。

そうやって、
夢を見ている者は、感情、心、精神、善と悪、虚偽と真実、快楽と苦痛、愛しさと憎しみ、理性、神性、仏性、いろんなものを学んだかも知れない。

一度も目覚めることなく。

そうやって、
夢をみている者は、見るべき学びの夢が終わりに近づき、疑問を持つのだろう。

この生きているという思いは真実だろうか。
この自分と思うわたしは、本当に存在しているのだろうか。

自分ではどうにも関与できないこの運命を、誰が運んでいるのだろう。
物語の作者は誰なんだろう。

会いたい。

それに会えるなら、何にも要らない。

真実を知りたい。

彼に会う事だけを一心に思い、日々の夢を暮らして、

そうやって、
夢をみている者は、夢から覚めるのだろう。

覚めてみると、それぞれの物語は生まれ変わりではなく、
いつだって「ここ」にある自分だった事に気づくのだろう。

覚めてみると、一連の長い長い夢は、ほんの一瞬だった事に気づくのだろう。

本当は唯ひとつの世界があるだけで、
いつか、唯ひとつの世界の、ある断片が、生まれたという夢を見始める。
 
2012-03-17