わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

宇宙の見え方 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんからいただいた記事です。

 

宇宙の見え方

 

宇宙には、緻密に計算し尽された、美しく見事な法則が貫いています。

しかし、宇宙のあれやこれやに疑問を持ち、解明したいという探究心を働かせても、あまり重大な意味や価値があるとは思えません。

宇宙に何やら神のような存在を見つけようとする人もいるかも知れません。
そもそも、意識の中の幻です。
そこに神の姿はありません。
そこにあるのは、現象だけであって、川の流れのように流転し、実体を見る事はありません。

外である宇宙世界から考えたら、この「内側」である深層の世界は、まるで深い井戸のように思えるでしょう。
そこに在る別の自分に気づかないうちは、そのように考えてしまいます。

しかし、内側に気づき、そこに座を置き(内側に自分の座る座布団をセットするようなもの)そこに留まるなら、見え方は逆です。

内側にいると、自分の中に宇宙を見るように見えます。
ほんとうは外というのは内側で、その中に宇宙の全てが展開されているように見えるのです。
宇宙を、自分が包んでいる感覚です。

地球儀というのを誰も知っている事と思います。
丸い地球を見るような感覚で、丸い宇宙を見ています。

宇宙船に乗って月に行くとします。
外側にいるなら、窓から月を見ていると、月に自分が近づいていると感じるでしょう。
内側にいて、窓から月を見ていると、月のほうが見ている側に近づいてきているように見えます。

川の流れを見ていると、川が止まっていて、陸が移動している感覚になりますが、
あの逆バージョンです。

それは、自分が、ほんとうは中心だからです。
自分は身体を持たないただの意識であって、身体を基点に宇宙が近づき、あるいは遠ざかる。
いつだって自分の意識から離れる事がないのであれば、いつだって変化する景色の中心です。

ゆっくり歩いて、その感覚を楽しんでみてください。
そぞろ歩きと言います。

しかし、日常では意識のほとんどを外に置かないと仕事になりません。
そういう時でも、内側の座布団を掴んでいれば、いつでもそこに座れます。

外側、内側、外側、内側・・・自分がスッスッって移動できる事を確認してみてください。

そうなれば、内側が深い井戸のように思える事はなく、広い内側の中に丸い外側があるのがわかるでしょう。
しかも、そうなってしまえば、知らなかった以前のように、全ての意識を外に出すのが難しくなります。
これはとても不思議です。
もう、戻れないのです。

だから思考を見つめるという事を、わたしは出来ても、できない人の、何故できないかを知るために、外側に完全に行ってみて確かめようとしても、難しくてしんどいのです。

ひっくり返るって、すごく不思議です。

それでも、ほんとうはそんな事さえどうでもよくて、
ほんとうに大事なのは、この至福であって、この愛です。

今まで知らなかった、このほんとうの愛を、どうしてもみんなの中に溢れさせたい。
でも、わたしにはできない。
それぞれと、神との関係でしか、それが現れないからです。
それが、どうにも、はがゆくて・・・

それが残念です。

 
2012-04-21