わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

人に対する恐怖で毎日怯えています:質問にお答えします(非公開さん) 花岡修平「真我が目覚める時」

◎この記事は、以前掲載した記事「記憶の中に住まないように」(2015-12-10掲載)の完全版になる。以前のものは、途中から始まっている。タイトルの前半部分は質問の要点で、私が付けたもの。KTさんからいただいた記事です。

 

質問にお答えします(非公開さん)

 

コメントをお寄せ下さった方には返信も差し上げず、失礼をお許しください。
励ましに心から感謝申し上げます。

さて、非公開さんからの質問ですが、メールでの返信はしておりません。
文面から本人が特定できる箇所は無いようですので、勝手ながら、ここでお答え致します。
なお質問は割愛した部分がございます。


>> ご相談したいことがあるのですが、私は幼い頃から人に対して恐怖感があり、威圧感を感じたり、どうせ嫌われるという思いが消えません。
人と居ると呼吸がうまくできなくなります。

父親が急に怒り出す性格だったので、幼い頃からビクビクしていたのが原因かと思い心理学の本をたくさん読みました。
ですが、父親が亡くなった今も同じなので自分が原因なのだと思っています。

中学の時に友達が同級生に集団で暴力を受け私はそれを見ました。
何も出来ませんでした。
その主犯の同級生が同じ階に引っ越してきた為中学のこの出来事も未だに浮かんできます。

毎日見る夢もとても怖いものばかりで、自分でどうしていいかわかりません。

私の物の見方を変えるにはどうすればいいのでしょうか。
アドバイス頂けないでしょうか。
よろしくお願い致します。


暴力の恐怖に怯え、身構えたままでは、気持ちも休まりませんよね。
お察しいたします。

ご自分が原因というよりは、今までの成長過程での環境、その後の出来事がそうであったという事ですよね。

この相談者のような方は、とても多いのです。

誰が怯えているのでしょう。
あなたの中の「わたし」が、暴力の記憶の故に怯えているのですよね。

「わたし」というこの想いは思考です。
「わたし」という者の正体は、思考なのです。

思考は記憶を使って湧いてきます。
覚えて使ってきた言葉や、過ぎ去った場面を記憶から拾ってきて思考します。

人は日中、思考で判断し、夜眠っていても思考で夢を見ます。
誰もが一日中、「わたし」が思考の中にいて、それはつまり、過去の記憶に住んでいるのです。

そして、今見るものを、今見る世界を、記憶で意味づけしていきます。

それだから初めて会う人に暴力を意味づけます。
記憶に住んでいるからです。

それだから夜眠っていて見る夢も暴力で意味づけます。
記憶に住んでいるからです。

ひいては、自分は尋常ではない、嫌われる存在だという断定に至って行きます。

過去が暴力という忌まわしい衝撃的記憶でいっぱいだから、一番に思考するのは暴力です。
思考の中で、繰り返し繰り返し暴力を引っ張り出して来るから、記憶の引き出しは暴力で追体験させられ、更に膨らんでいきます。

人=暴力、この意味づけを解除する方法はあるのでしょうか。

記憶を完全に喪失するか、思考するという行為を停止するか、「わたし」という思考する者を消滅させるか、そのいずれかで叶いそうです。

しかし、そのような事が可能でしょうか。
達人なら可能でしょうが、普通の人には可能な訳がありませんよね。

では、それ以外の方法はあるのでしょうか。

本来のあなたは、どのような者であったのでしょう。

本来のあなたは、記憶に住む者でしょうか。
それとも、記憶の前を行く者でしょうか。
つまり、今に住む者でしょうか。

初めて会う人に暴力を意味づけるなら、あなたは記憶に住む者です。
初めて会う人に何も意味づけず、あるがままのその人を見ようとするなら、今に住む者です。

初めて会う人に限らず、昨日会って今日も会う人、あるいは先月、または去年会って今日も会う人も、それは今日会う人だから初めて会う人です。

この事はつまり、昨日会った佐藤さんは記憶であり、もういませんが、今日会う佐藤さんは全く初めて会う佐藤さんです、という事です。

記憶の佐藤さんと名前も見た目も同じように見えますが、今日会う佐藤さんは新しい今日の佐藤さんだという事です。

今会う人、今見るもの、今居る世界は、まったく今、初めて新しく会う人、新しく見るもの、新しい居る世界です。
記憶に入れて保存した過去のそれらではありません。

この事がわかるでしょうか?

今までは、過去の継続からの今日でしたが、その考えは正しくはありません。
ほんとうは新しい今日が現れ来たのです。

過去の体験は確かにあったかも知れません。
しかし、それはもう今は無い事を思い起こしてください。

そして、今のあなたも、まったく新しいあなたである事を理解してください。
それは、新しく産まれた赤ちゃんのように、記憶を持っていない人という立場です。

産まれたばかりの赤ちゃんは、まったくあるがまま、赤ちゃんです。
そうであるなら、今、過去ではない今のあなたは、まったくあるがままのあなたです。

ところが、思考であるあなたの「わたし」は過去に住み、記憶をまさぐり、暴力を見つけ出します。
そうであるから、今日初めて会う人に暴力を意味づけます。

ほんとうは、

あなたは今、今、今と、次々新しく生まれているあなたです。
過去や記憶とは関係なく、真実今、新しく生まれたのです。
そして、次の瞬間また、新しく生まれるのです。

そこに過去の、あーだこーだ、は、意味を持ちません。
心の傷、ペイン・ボディ、それは・・・今新しいあなたには、無いんです。

そのあなたが、あるがままのあなたです。

この事がわかりますか?

セラピストさんやカウンセラーさんは、心理学や精神分析やら、学問的な手法を駆使して、症状を和らげようと努力なさるでしょう。

しかしこれは症状ではないのです。
病気ではないのです。
ただ、あなたが意味づけているだけなのです。
意味づけるのを止めれば、人=暴力、あるいは、わたし=嫌われる、という恐怖、その幻は消え去るのです。

今までのあなたの物語を、ここで終了させてください。
そして、今から別のあなたの物語を始めてください。

つまり、今を生きるあなたとして、今、生まれるのです。
それは過去に意味づけされていない、真実新しいあなたです。
過去を閉じて、「今、わたしは新しく生まれた!新しいわたしだ」と宣言してください。

真新しい、あるがままのあなたを、感覚してください。
何にも囚われない、自由なあなたを感覚してください。
なんと開放的な自分であるかを感覚してください。

あなたはどんな食べ物が好きなのか、どんな本が好きなのか、どんな映画が好きなのか、どんな人が好きなのか、新しく生まれたばかりだからわかりません。

これから、体験して知って行ってください。

初めて見る花を体験してください。
初めて味わう空気を吸ってください。
初めて見る空に感動してください。
初めて聞く鳥のさえずり。
初めて聞く友達の声。
初めて行くスーパー。
初めて作る食事。

全て初めての、あなたの世界を楽しんでください。

そのように、堂々と、新しいあなたとして生まれてください。

それが、あるがままのあなたです。

そこに、暴力などありません。
そこに、好かれる嫌われるは、ありません。
そのようなものは、まだ未体験です。

人は誰でも、今、新しく生まれた自分です。

だって、今に生きているのだもの。

あるのは常に、今だけです。

もしも、あなたの「わたし」という、その思考で作られた偽物の自己が過去の記憶をまさぐり始めたら、すぐに今、新しく生まれてください。

もう、過去のあなたではなく新しいあなたです。
それは、いつだってそうだったのに、あなたが気付かなかったのです。

誰だって、今はあたらしい自分なんです。
そして、その事に誰も気付いていません。
みんなが気づくべきなのです。

過去は意味づけから来る思い込みにすぎません。
ほんとうは今しか存在してないのです。
そして、あなたは今、新しく生まれたあなたです。

希望、可能性に満ち溢れた、新しいあなたです。

それが、あるがままのあなた、自由なあなたです。

どうでしょうか?
眼が覚めたでしょうか?

これが事実であり、これが真実です。

一気にはこの事がわからないかも知れません。
これは、頑張ってわかろうとする事ではありません。

ですが、過去と今との在り方の違い、それはわかるはずです。
過去にどんよりと居る感覚と、この今にバッキバキで居る感覚と。
違いがわかるはずです。

ま、バッキバキになる必要はありませんが、わかるべきは過去は消えてしまった幻でしかないという事。
あるいは、もう幻でさえ無いのだという事。
今、新しく生まれれば、新しい自分が今ここにいる。

そういう事です。

新しいあなたは、真っさらで、純粋で、美しい素敵な人でしょう。
きっとそうなのです。
いろんな人に好かれ、いろんな人と笑顔を交わすでしょう。

笑顔で暮らしてください。
口角をキュッと上げてください。
それだけでも、あなたを好きになる人は、増えていくんですよ。

自信を持って生きて行っていいんですよ。

あとは、あなたという者を現しているあなたの本体(それを便宜上、真我とか神とか絶対者とか呼びます)。
それが、あなたを責任もって運んでくれます。

それにお任せして、今を生きてください。
新しいあなたとして。

そして、他の人にも、新しいあるがままの、その人を見るように向き合ってください。
なにも意味づけず、新しく発見して行ってください。

どうぞ幸せに暮らしてくださいますように。

 

2013-09-04