わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

「シュリ・ラーマクリシュナ」純粋な幼子へ 花岡修平「真我が目覚める時」

◎美しい文章だ。読者たちの賞賛のコメントを最後につけ加えておいた。Hさんから頂いた記事です。

 

「シュリ・ラーマクリシュナ」純粋な幼子へ

 

わたしには静寂に入るというより、静寂がわたしを包み込むように思える。

そこに入ろうと思う事もなく、突然そこに呼ばれ、わたしは無抵抗にそれに覆われ、委ね、胸は心地よい振動と共に喜びで満たされる。

涙は次から次と溢れて止む事が無く、「出来る事ならこのまま、自分を終わりたい」と思ってしまう。

そうして見えるこの世は、なんと美しい事か。

あらゆるものが、神で満たされている。

その事が、とてもとても有難く、なにものも神にはかなわないと言い切れる。

シュリ・ラーマクリシュナ。

あなたは形ある神を観ようとした。

形ある世界は、実体ではない。

あなたが愛したナレンドラ(ヴィヴェーカナンダ)は、その事を言った。

あなたのその弟子は、毎日あなたを想っては、自分が浸る形無き神との矛盾に悩みながら、師であるあなたの信仰に逆らうような罪悪感を感じていたのかも知れない。

マーハー・マーヤ

世の全てを創造する母。
世の全てを終わらせる母。

ラーマクリシュナは、形ある美しい女神として彼女を観ようと懇願した。

この安らぎ、この至福の中に、取り込められてトランスしていながらも。

それほどまでに、美しさの根源を観たかったのでしょうか。

わたしは観なくてもいい。

これがわかっていて、そしてわかり続けられれば、そんな贅沢は言わない。

わかる事が出来て、ここに浸れれば、帰って来れればそれでいい。

ここは、神の中だ。

形などどうでもいいし、それは実体などなく、ただ幻であり、マーヤの愛の具現である事を知っている。

あなたは知っていながら、形としても観たかったのでしょう。
あなたは幼子のように、純粋で嘘をつけない。
純粋な者の、計り知れない彼女への愛が、そうさせたのでしょう。

純粋な欲張り。

さすがにわたしは、そこまで純粋ではないようだ。

これで既に満足してしまっている。

これだけでもう、神と和解してしまっている。

神に呼ばれる喜びに、何度もため息をつきながら、何度も涙を拭きながら、嗚呼、嗚呼とうめきながら、わたしは満足している。

なにもかもが美しい。

わたしは、わたしなどない。

ただこれでしかない。

今日の雪は、なんと美しいのだろう。

神の分子が降りてくる。

ここは、なんて居心地がいいのだろう。

終われたらいいのに。

このまま
 
 
2014-01-12

 

 

 

 

 

[読者HK]

今日の記事を拝読していると、私もつられて静寂に包み込まれました。 
花岡さんの文章には、やはり、とても不思議な力があります。 
「愛」に通じる道を、とても通りやすくしてくれます。 
命のエネルギーの放射を遮っているモノを、サッと取り払ってくれます。 

言葉というのは、「思考」を増長させてしまうように考えていましたが、 
花岡さんの文章のように、「愛」に近づけてくれるものもあるんですね。 
お坊さんが「お経」を大事にするのも、少しわかるような気がするなと、思ったりもしました。 

そして、慌しい日常ではついつい忘れがちな、 
「いま、満ち足りていること」そして、それに「感謝すること」を、 
改めて思い起こすこともできました。 
花岡さん、ありがとうございます。 

ところで、 
「終われたらいいのに…」 
も、けっこう欲張りだな…  
と、思ったのは、私だけでしょうか…? 

 

[読者AK] はじめまして

花岡さん、はじめまして。 
花岡さんのブログを拝読させて頂く様になり、1年以上の時が過ぎました。 

その間には、本当に辛い出来事も有りましたが、その様な時に私を励まし導いて下さるのは、花岡さんの言葉でした。 

花岡さんの書かれる文章は内容のすばらしさ(神への愛と想い)と共に一つ一つの言葉が美しい音の様に、私の胸に響いて来る様に感じられます。 

そして、その美しい歌の歌詞は、所々は忘れてはしまっても、そのメロディーは何時でも口ずさめる様に、花岡さんの言葉は何時も私の心の中に在ります。 

花岡さんには、お礼の言葉をさし上げたいと、ずっと前より思っていたのですが、何か美しい新雪に足跡を付けてしまう様な心苦しさ(多分、花岡さんはお笑いになるでしょうが)があって、中々コメントが出来ませんでした。 

今日の記事はことさらに美しく、私も「ラーマクリシュナの福音」を愛読していますので、どうしてもコメントしたくなってしまいました。 

>終われたらいいのに。 
  このまま。 

花岡さんのお気持ち、お察しする事もできますが・・・ 
私の様に花岡さんの言葉を学びの糧としいる者も多く在ると思います。 

私としては何時までも、花岡さんの言葉に導いて頂きたいです。 
その想いは、私の純粋な欲張りかもしれませんね。 

  

[読者PM] おはようございます

花岡さん、皆さん、おはようございます。 

何て美しい文章でしょう。静寂そのものの文章に感動します。 

>終われたらいいのに。 
 このまま。 
ふっと訪れる静寂に包まれた瞬間、私もそのように思います。 

またすぐに戻って来る、私の心のなかは「怒」と「哀」でいっぱい。 
なんとか離そうともがいても、ますますその中に嵌まっていくばかり。 
もう沢山、何とかしなくちゃと足掻いて足掻いて。 

でも抜け出す方法が見つかって来ました。 
その自分もそうなっているんだからしょうがないと認めてあげることと、 
その自分から、ただ脱出すればいいんだってことを。 

花岡さん、皆さん、1月19日の今日も善い日でありますように。

[読者E]

コメントするよりも、今はこの心地の良い状態を味わっていたい。 

最近は、花岡さんの過去の記事も読み返したりしていて、不思議な感覚に陥ることが多いです。 

今日こそは、浸ってばかりいないで感謝の気持ちを伝えたい。 

素晴らしいブログをありがとうございます。