嘘はなんて悲しいのでしょう 花岡修平「真我が目覚める時」
◎KTさんから頂いた記事です。
嘘はなんて悲しいのでしょう
人は嘘をつきます。
保身のため、自己保存のために嘘をつきます。
それが悲しい自分を作り上げています。
そうは思いませんか?
なぜ、ありのままの自分であってはいけないのでしょう。
嘘をつけば、免れる何かを抱えているのでしょうか。
嘘をつけば、愛されるとでも思っているのでしょうか。
そんな虚偽の愛が欲しいのでしょうか。
それほどに賛美される事が重要なのでしょうか。
地位を守る事が重要なのでしょうか。
ありのままの自分が恥ずかしいのでしょうか。
嘘で保持している幸せなど、どこに価値があるのでしょうか。
知らない事を、さも知っているように言わなくても、何も問題などないのではないでしょうか。
あるいは、思い遣りの嘘もあると、言うかも知れない。
しかし、それ以外に、思い遣りの手段は無いのでしょうか。
あなたは嘘をついて手に入れたものを、愛せるでしょうか。
真実それは、自分のものとなったのでしょうか。
あなたが得られないのは、得られない事で知るべき何かがあるから、あるいはそこから始まる何かが用意されているからではないでしょうか。
それなのに、嘘をついてまで得ようとし、そのために嘘の連鎖に苛まれていく。
それだから、いつまでたっても、得られないのではないでしょうか。
あなたが知らないのは、やがて知る喜び、驚き、その感動を味わうためではないでしょうか。
それなのに、知らない事を隠すために、知っているふりをする。
知らない事は恥ではなく、知っているふりをしているのが恥なのだと、なぜ気づかないのでしょうか。
自分の犯した何かを隠すために嘘をつくのは、もっと重い罪ではないでしょうか。
あるいは嘘でありながら、嘘などでは無いと、思い込んで気づけない人もいるかも知れません。
ほんとうは、そのような人のほうが多いのです。
しかし、エゴではない深層の、自分の本性までは嘘をつけないのです。
彼は、嘘である事を知っています。
嘘をつく度に、自分の中のもうひとりの自分が、責め立てる。
嘘が通らない、もうひとりの自分が、問うてくる。
「それでいいのか」と。
そのような気持ち悪さを、忘れてしまったのでしょうか。
詐欺師が、老齢の人に嘘によってお金を振り込ませて、ほくそ笑む。
それでも、自分の中で、そのような気持ち悪さは無いと言えるでしょうか。
わかっていないのに嘘を信じ込ませ導こうとする人、預言する人、葛藤や空しさは無いのでしょうか。
そのような嘘をつく人でいたいのでしょうか。
ほんとうは、そんな事しないで、まっとうな生き方をする事を、望んではいないでしょうか。
そうであるなら、そうすべきです。
あるがままの自分でいて、なぜいけないのでしょうか。
虚栄も、保身も、共に捨ててみてはいかがでしょうか。
あなたに与えらえた立場、得られていない現状、自分に無関心な周囲、冷たい社会、暴力的な人間関係、そうであっても、嘘をついてまで人の気を引こうとする必要は無いのです。
嘘をついてまで物質的な無価値なものを蓄えようとするよりも、自己の清らかさの故に得られる喜び、その宝を得てください。
あなたが、あなたのまんまでいる事の、嘘の無いあなたでいる事の、その素直な立派な在り方に、他の人は感化されるでしょう。
誰もが、まず自分からそのようであろうとする姿勢、志が必要です。
あなたが氷を溶かしていく温もりとなるのです。
あなたにしかできません。
あなたの意識に現れている世界なのですから。
あなたが、
嘘をつくのはもう止めよう。
どんな惨めな結果になっても、そうしよう。
そう決意したその時の、なんと清々しい在り方を味わえる事を、神は待ち望んでいる事か。
そうしないと、自分に帰れないのですから。
あるがまま、ありのまま、ほんとうの自分に気づく事が出来ないのですから。
ほんとうの、価値ある幸せ、どうかそれを得てください。
2013-12-12