わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

引き寄せの法則はあるのだけれど 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。

 

引き寄せの法則はあるのだけれど

 

引き寄せの法則というものがあるそうです。
もちろん事実です。
常に、そのようにして、幸せも、不幸も、悲しみも、辛さも、引き寄せているのです。

でも、それは、五感と識で感覚する現象世界の出来事です。
マインドの関与による、絶え間ない創作による現象です。
幻、イリュージョン、マーヤ、いろいろ言われるこの、現象世界に表現されている、この世界だけの出来事です。

しかし、「ほんとうの我々」は、この世界に居るのではありません。
それぞれの中に、自分と思っている身体と共に、この世界が現れているのです。

そういう意味では、引き寄せの法則よりも、もっと気づくべき真実があるのです。
つまり、真実の我々は何であって、どこに存在しているのか。
なにも恐れを抱く事の無い、欲の湧いてこない、執着することの無い、究極の幸せ、満ち足りた安らぎ、
永遠であって始まりも終わりも無い、愛そのものである自己の本性。
ただひとつの全体。
それが、誰にとっても気づかなければならない行き着くべき、帰るべきふるさとです。

全てを包括する「ただ在る」世界であり、全ての根源です。

現象世界のあらゆるものが、その源泉からたち現われ、命、光、場、作用、次元、二値への分離、
生と死の観念、時間の観念、マインドの形成、感情、記憶、想念、思考、心、
現象世界に現れる目に見えないものと、波動周波の低下した目に見える物質などに変化します。
その現れ方が、あなたの意味づけで、成されていくのです。
あなたが意味づけたものが、世界に投映され、引き寄せています。

自分は身体だという主体、脳だという主体、あるいは心であるとする主体、
その位置づけさえ、あなたが意味づけたものです。

世界がどうであるとか、宇宙の法則がどうであるとか、言ってしまえばただの幻を追い続けているのです。

それでも、物事には何であれ、意味の無いものなどありません。
意味があるから起こっています。

「ただひとつ」から立ち上り、自我の意識に表現されていく二元の世界。
それは体験して、知らなければならないから、起こっています。
喜びも、悲しみも、苦も楽も、体験して味わい、知る。
この一連のプロセスが、源泉の、つまり神の望んだ事、みこころです。

あなたが体験している事、悩んでいる事、楽しんでいる事、それらすべての精神エネルギーは、神の気づくところであり、神に帰って行きます。
それが神の活動だからです。
「在る」である源泉は、そのように、小さな自我に体験させて、真実の愛を育んでいるのです。
愛の循環です。

個々の細胞の活動が、全体という身体の活動につながっているのと、同じです。
小さな細胞は、全体という身体に気づかないかも知れないけれど、ご飯を食べて栄養を与えているのは、身体です。
あなたは、神に気づかないかも知れないけれど、神に養われているのです。

細胞が、身体の要素であるように、あなたは神の要素だからです。
それだから、あなたを愛しきっているのです。
あなたが自身の、ただ一個の細胞さえ慈しみ愛するのと同じです。

そのように、決してあなたから離れる事はありません。
置き去りにする事はありません。
いつもあなたに気づいています。

神は、大宇宙の運行プロセスに気づいていながら、同時に小さな蟻の足音にさえ気づいているのです。
そのように、あなたも神に、源泉に、真我に、気づくべきです。
その真実に気づき、その愛を頂いてください。
真実の愛は、こんなにも、自分を満たしてくれます。
その喜びを知ってください。

そして、その愛を、また源泉に、神に返してください。
循環させてください。
内側にその通路があります。

あなたが、宇宙のどこかに幸せを引き寄せようとするなら、それは出来るでしょう。
でも、その幸せ・・・続きません。
現象界に求めるものは、永劫ではないからです。
更に、更にと、貪る事によって、幸せを引き寄せるなら・・・いいですか!二元の世界です。不幸も同時に引き寄せているのです。

神から与えられる幸せは、「ただひとつ」から来るのですから、そこにどのような不幸が隠れているでしょうか。
そのようなものは、無いのです。
ただただ、純粋な、幸せなのです。
気づくべきは、それです。

 

 

2012-05-07