わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【基礎の基礎】不生不滅

*数ヶ月前に一度掲載し削除した記事の再掲。
 
 
それは、すべてあなたのアイデンティティーを明確にすることに帰着する。

あなたは、すでに「ある」。

だから、未来におけるあなたの状態や経験を追い求める必要はない。

あなたが追い求めているのは、あなた自身の自己なのだから、
それは、あなたから分離しておらず、また、遠くにあるわけでもない。
それは、常にあなたと共にある。

現れ、また、消滅するものは何であれ、ほんとうのあなたではない。

思考、感覚、知覚、経験、もの。
これらはすべてやって来ては去っていく。

そんなものはどれも、ほんとうのあなたではありえない。

だから、そんなものは脇にどけて、ほんとうのあなたが何であるか見なさい。


何が残っているだろうか?


驚くべきことに、ほとんど何も残っていない!


しかしながら、それでもあなたは「ある」。

あなたは、それまでと変わらずに「意識している」。

この『意識しているということ』が、今立ち現われているのを見なさい。


他のすべてを投げ捨ててしまったからには、これが唯一可能な「残存者」であり、
「ほんとうのあなた」であるに違いない。

あなたの存在は、どんな疑いも超えて「ある」。

「ほんとうのあなた」は、明るく輝きながら、今目の前に立ち現われている。

あなたは、すべての思考、感情、感覚、経験を記録している「眼前の立ち現われ」そのものだ。

直接、これを見なさい。

これが、核心である。



思考は、立ち現われ、そして、消滅する。

しかし、この今目の前に立ち現われている『あることそれ自体』、すなわち、あなた自身の本来の存在の仕方は、決して変化することなく、そのまま残る。


このことを「見る」ためには、未来を待つ必要も、何か特別な修行をする必要も、
また、特別なテクニックやメソッドも必要ない。

なぜならば、シンプルに「すでに眼前に今立ち現われている」からだ。

あなたは、今こうして存在し、意識しているためになんの努力もいらない。

それは、まったく自然なことである。

今こうして「ある」ことに気づいている感覚と「あなた」。
このふたつは、イコールなのだ。
そのことを、今、見抜きなさい。




多くの言葉が、この本質的性質を指し示すために使われている:
 
「気づき」、「意識」、「いのち」、「スピリット」、「空」、
「ある」、「神」、「ワンネス」 etc...........

しかし、これらはすべて、指し示す機能を果たしているだけであり、
それらによって、指し示されているのは、あなたの本性そのものである。
それ以上でも以下でもない。

 
 
あなたの体と心は苦しむ。
 
 しかし、その「苦しみに気づいている気づきそのもの」は苦しんでいない。

その「すべての苦しみに気づいている気づきそのもの」に気づきなさい。
 
 

それを見なさい。

それを洞察しなさい。
 
 
 

*問い:「直接的で非概念的」=「感覚的理解」を得るためのアプローチ。

以下の問いは、「ほんとうのあなた」の多様な面を浮き上がらせるためのものである。
これらの問いに答える際には、「あなた自身の直接的体験」を「見て」ほしい。
決して、知的な、哲学的な、概念的な、理論的な理解をしてはいけない。

 

【Q1】
あなたは、「自分が存在している」という感覚を、
あるいは、「今この瞬間に自分が立ち現われている」という感覚を
感じることができるだろうか?

 

*これを感覚することに困難をおぼえる人は、次のようにしてみるといいかもしれない。
頭の中の思考を静まらせ、霧のように自分を包んでいる「何ものか」をイメージし、その全体を感覚するようにする。
それができたら、その霧のイメージを抜き去る。すると、注意がノンフォーカスになり、全体に拡散される。

 

 

【Q2】

「存在し、気づいている/意識している」
という事実を知るために「考える」必要があっただろうか?

 

 

 

【Q3】
まず「存在し、気づいている/意識している」という事実に気づきない。

 

次に、同時に、多様な思考、感覚、情動、体験などが、
その中で現れたり、消滅したりしていることに気づきなさい。

 

さて、ここで問題。

これらの変化しつつある体験に気づいている最中、「存在し、気づいている/意識している」という感覚は変化していただろうか?


その感覚は消滅してしまっただろうか?
それとも揺らいでいたろうか?

 

 

 

【Q4】
「存在し、気づいている/意識している」ことを知るために
未来を待つ必要があるだろうか?

 

 

【Q5】
「存在し、気づいている/意識している」ことを知るために
何か特別な練習やテクニックが必要だろうか?

 

 

【Q6】
「存在し、気づいている/意識している」ことを知るために
スピリチュアル系の本を読む必要があるだろうか?

 

 

【Q7】

「存在し、気づいている/意識している」ことは、誰かが与えてくれるものだろうか?
それとも、すでにここにあるものだろうか?

 

 

【Q8】

「存在し、気づいている/意識している」ことを知るために、
何か特別な「覚醒」や「悟り」が必要だろうか?

 

 

【Q9】
「存在し、気づいている/意識している」ために、
何か努力が必要だろうか?

 

 

【Q10】
「存在し、気づいている/意識している」ことは、
何か対象のようなものとして把握できるものだろうか?

 

 

 

(作者不詳)