わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】あなたにもあります般若波羅蜜の智慧

探究者は、だれもかれもが「悟りたい」と言います。

悟りを追い求めます。
悟れない、悟れない。 どうして悟れないのか・・・と悟りにがんじがらめになります。

道元が言うように、「人は生まれながらにして悟りから逃れられない」のです。
どういう事かと言えば、

人は悟りを手放す事ができない。

つまり、

人と悟りは、すでに、いや最初から、

くっついている・・・という事です。


誰もがほんとうは、すでに悟っているんです。
それに誰もが気づいていません。

あらたに悟りなるものを「こしらえる」のでもなく、「手に入れる」のでもなく、
それはすでに、あなたの内側に「在る」のです。

ただ、それに気づけばいいだけなのですが、
悟りをまるで宝探しのように思っているから気づきません。

悟りを手に入れるのではなく、勝ち取るのではなく、
気づく事にチェンジしてください。

このブログを読んで、あ!この部分・・・わかる!
って思う人がいると思います。たぶん
(お願いだからいてください)

そういう時の、あ!わかる!・・・は、どこで気づいているのか観てください。

頭じゃ無いはずです。
それは内なる感覚が、閃光が瞬くように、一瞬でフラッシュして、
その後に意識の中で思考が翻訳しているはずです。

わたしが言う事は、たいした情報などありません。
あなたは既に知っているからです。
あなたが既に知っているその事のうちの、ひとつやふたつを、ここで指摘しているだけです。

あなたの、あ!わかる!・・・は、
あ!知ってる!・・・なのです。
知ってる事に気づいた瞬間を観てください。

そう、内側に既に知っている「それ」が在るのです。

パニアパラミタ。 あるいは、ハラジャハラミタ。
内在された偉大なる智慧
般若波羅蜜多です。

それが反応して、すでに知っていることを表面に展開して、
あ!わかった!・・・が知覚されます。

わたしが言ってる事は、あなたがすでに知っている事ばかりです。

それに気づかないのは、それを邪魔するマインドの罠です。
思考が、想念が、ひっきりなしに頭の中を独占します。
そうやって有りもしない恐れや、心配や、幻である仮想の喜びによって自我に引き戻そうとします。

思考を穏やかに止めるのです。
想念を払拭させるのです。
呼吸を数えて、リラックスしていってください。
20数えて1セットを20セットとか、覚えておける数を決めてやってみてください。

思考や想念が完全に消せなくても、放っておけばいいのです。
あとは、思考の事は思考にまかせておいて気にしなければいいのです。

そして、
あ!わかった!が出てきた所を観察してください。
最初は何も見つからないかも知れません。
何度かやっているうちに、感覚自体が感覚に気づきます。

というよりも、
あ!わかった!が、次第に多く、強く、鮮明になって行きます。
思考、想念を穏やかに沈める事に慣れれば慣れる程、それは明確になって行きます。

時間の罠、記憶の罠にも気づいてください。
記憶が未来を心配させます。
ほんとうは過去も未来も、記憶が作り出した存在しない概念です。
「今」というこの一枚だけが存在します。
未来と過去に別れを告げてください。
それが、無駄な思考、想念を沈める役に立つのです。

だれもが既に悟っていた。
そう、気づけばいいだけです。

気付けます。
仏陀やキリスト、ミラレパやシャンカラチャリア、人である彼らに出来たことが、
どうして出来ない事などありましょうか。
優劣などありません。
聖も邪もありません。
あるのは、ひとつだけです。



2012-04-09

 

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