わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】占いですか・・・

昨夜、母の食事の介助をしながら何気なくテレビを見ていましたら、
占い師が、占い師にマインドコントロールされていた・・・という内容の番組をやっていました。

最近ワイドショーを賑わしていましたね。
女性芸人さんが同居していたという、あの占い師さんに、同業の占い師さんが洗脳されて、
まったく同じ同居生活をしていたという告白でした。

まるで、共食いですね。

人は誰でも、心はとても弱く、傷つきやすいものです。
迷い迷い生きてゆく人生の中で、何度も壁にぶち当たります。
苦悩の中で、どう生きていけばいいのかと、もう、考えても何も思い浮かばなくなる事もあります。

暗中模索の中で、占いに指針を求めたいという気持ちは誰にも起こる思いです。

どこかの国の一番偉い政治家さんは、新聞の占いを欠かさず見て、その日の行動を決めているような事を言ってました。
どうじょうは金魚にはなれないのだよとおっしゃるその政治家さん、
仮にも国の行方を左右する政治を、占いに頼るというのは、いかがなものでしょうか。
自信のなさをあからさまにしていながら、一方では、不退転の決意、不退転の決意と言うのです。
不思議でしょうがありません。

占いは、ほんとうに当たるのでしょうか。
当たるも八卦、当たらぬも八卦

占っている当人も、ほんとうはわかっていないのであれば、これは罪です。
わかっていない事を、人に指し示して、その人の人生に重大な影響を及ぼすなら、
過失というより、大罪です。

仏陀は修行者に対しては、占う事も、占われる事も硬く禁じていました。
当時のインドでは占いは、とてもブームだったそうです。
占いに頼るのは、心の弱さから来るのです。
見えない先に対する恐れから逃れたいという思いが、この先には恐れなどないという希望を求めて、
占いにすがってしまいます。
悟りへの修行は、それこそ不退転の決意で臨まなければ成し得ません。
仏陀は、占う人、淫行を制御できない人、かつての暮らしに思い出を馳せる人に、
無理に出家する事はないのだよと優しく諭し、家に帰したそうです。

人の未来は、すでにデザインされています。
みんな、自分の描いたデザインに沿って、人生を歩んでいます。
過去のどのような無駄だろうと思えた事柄も、何年も後に、何十年も後に役立つのです。
役立つようになるから、経験したのです。
これからも、経験する事で知って行きます。

わたしは、理容師の免許も持っています。
その後、電子工学を学び、電子機器やコンピュータ機器のハードメンテナンスの仕事をしていました。
だったら、理容師の免許、技術は持っていても、なんの役にも立たないだろうと、思っていました。

ところが、母が認知症になり、脳の委縮によって歩行も困難となり、ちから萎えて、
美容院にも行けなくなってから、その技術が役にたっているのです。
もう何年も、母と、かみさんと、自分の髪でさえ、自分でカットしています。

経験し、知ることで、なにも無駄な事はありません。
なにも意味の無い事などありません。
デザインに沿って、起こることは起きていきます。

過去の起きた事も、この先起こって行く事も、決して無意味ではないのです。
マインドを自分で制御できないとしても、他人に明け渡してはいけません。

先が見えず、不安に迷い、壁に当たる度に人は苦悩し、混乱します。
人のその弱みに付け込もうと謀る人もいるでしょう。
あるいは、ほんとうに人のこの先が、わかる人も、いるのかも知れません。
わたしには、そのような能力はありませんが。

しかし、わかるまいが、わかろうが、
人は、その人の、デザインのとおり、体験していかなければいけません。
そのとおり、体験して行くことに、なるのです。

自分のこの先さえわからないのであれば、人のこの先が、どうしてわかり得ましょうか。
統計学の範囲でなら、それは結構な事です。
しかし、思い込みや、ましてや企てなどあってはいけません。
迷う人を、よけい迷わしてはいけません。
それは大罪です。

占いが悪いわけではありません。
占う事が悪いことではありません。
真実がわからないのに、虚偽を言うことが悪いのです。

そうではなく、だれにでもこの先には、困難はあるのですから、
励まし、勇気づける助言を与えてください。
だれにでも、起こることは起こる。
それに負けない、安心してそれと向き合える姿勢を教えてあげてください。

愛ある人でいてください。
愛があったら、虚偽はもう言えなくなります。

 

2012-05-11

 

 

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