わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】暑中お見舞い申し上げます

介護の為とはいえ、ブログ更新を休止しておりますことをお詫び申し上げます。
休止中にも関わらず、たくさんの方が訪問してくださっている事に、感謝致します。
連日猛暑が続きますが、皆様もお体を大切に、お過ごしください。
身体は自分そのものではなく、ただ現れであり、そのように組み立てられている、経験のための大切な乗り物です。
実体ではないにしろ、それ無しには物語を体験できません。
全てを愛するその愛で、労ってあげてください。

更新を休止しておりますので、スポンサー広告が表示されます。
煩わしい事でしょうが、ご了承願います。

我々のこの「生まれてきて、生きている、そして、誰もが終わりの時を迎える」という物語は、「真実在るその唯一」の活動の一部として自我が体験している事です。
楽しかろうが、苦しかろうが、その先には絶対的に、真我への気づきが用意されています。

我々は皆、この源泉の、この神の要素です。
誰ひとり欠けても、それは成り立ちません。
また、欠けるはずなど無いのです。

全ては一つであって、「わたし」も「あなた」もありません。
誰であろうと、結局はその事に気づくように仕組まれ、組み立てられています。
それが真我の活動です。

真我とは、あなたそのものです。
あなたは既にそれであって、それに成るのではありません。
真我に成ろうとするのも、悟ろうとするのも、それは自我でしかないのです。

努力して、修練して、行じてそれに成るのではなく、ただあるがまま在って、思考、想念によって意味づけせず、静寂の中で全てを唯一として受け取ってください。
そうすれば、それはただ現れているだけの事であって、それを見ている「わたし」も、束縛も、解脱も、ほんとうは存在しないという真実に目覚めるでしょう。

我々は真我の中に在るのです。
唯、苦楽を通して本当の愛を想い起こし、学び知り、それを強固なものにして真我に還元するために自我という仮の自己を作り、物語を体験しているだけです。

そのように組み立てられ、運ばれていきます。

偶然など何一つありません。
世の中が偶然で出来ているなら、あちこちで大変な事になり、ついには混沌へと陥ってしまいます。
美しく秩序だてられ、整合された真理があるから、我々は正しく「錯覚して」存在していられます。

全ては源泉の、神の、みこころによって運行され、神は何一つ欠く事なくそれらに気づいています。
今苦悩の中に生きている人、悲しみの中に生きている人は、たいへんご苦労な事ですが、それでもそれを受け入れてください。
受け入れるなら、二元が、一元へと変容するのです。

一方を受け入れ、一方を排他するなら、それは偏りであって苦悩も悲しみも消え去ることはありません。
ただ、在るがまま受け入れる。
この事が、真我へと誘うのです。

思考や想念で意味づけてはいけません。
ただ受け入れ、許し、愛する者でいるなら、なんと真我に近づく事でしょう。

あなたの胸に、ハートを感覚してください。
感覚できないなら、手のひらを、胸に当て、プラーナ(気)を同期させてみてください。
そこに喜びが、愛が溢れるのを感じてください。
全てをただ受け入れ、許してください。
物語は書き換えられ、あまねく整合されていきます。

やろうとせず、成ろうとせず、真我に委ね、任せ、受け入れて、許し、愛するだけです。
それだけで、あなたに変容が起こるのです。
何と、神の愛の喜ばしい事か。

この後も、しばらく更新休止させて頂きます。
あなたが真実の愛に目覚める事が、わたしの本当の幸せです。
コメントをお寄せ下さった皆様へ、心の奥底から感謝申し上げます。
ありがとうございました。

 

 

2012-07-29

 

 

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