わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】罰当たり?(その1)

「ばち」あるいは「ばつ」と読みますね。

因果による報い、悪行による結果を指して言うのでしょう。

さて、神というものが在るとして、我々はそれを知らず、様々な愚行をして生きていて、それに対して罰など当てる神は在るのでしょうか?

いやいや、神は決して罰など与えたりしません。
すべて神によって現れている現象世界です。
すべてその愛によって見せられている世界です。

それに対して、それぞれの物や行為や現象に、人が意味づけして物語を展開しています。
それなのに、なんであれ人は、何かのせいにしたがり、誰かのせいにしたがります。
自分で選び、意味づけして物語を創り出しているのに、後から誰かのせいにして文句を言うのです。

神はどのような命でも、平等に愛しています。
どのような命も、みんな神の愛の中に存在しているのですから、神のほうからペナルティを与えたりしません。

行為に対して良くない結果が現れたのは、みんな自ら選択してそのような結果を創り出しているのです。
そのようなルートを選択して歩いているのです。
そのような現れを通して、我々は学んで行きます。
そのような仕組みであるから、「なぜだろうか?」と、考え始めるのです。

真実を知って行くきっかけは、いつだってそこらここらに散らばっているのに、人はやっぱり、誰かのせいにして自分を見つめる事をしません。

自分を見つめる事がないから、大なり小なりの悪い行いをしながら、より得する選択をして生きています。
悪い行いをしてはいけないのだと知りながら、悪い行いを選択して、誰もこの事に気づきませんようにと思っていたりします。
そして悪い結果を引き当てると、罰が当たったなどと言うわけです。

許されない事と知りながら不倫をして、家庭を崩壊し、高い慰謝料を払うわけです。

そういう人にとって、人生はギャンブルのようなものです。

しかし、神はそれに対して罰を与えたわけではありません。
それは許されない事だと知っていて、他の人たちも許されないことだと評価しているから、ペナルティで清算するしかなくなるわけです。
そういう社会ルールだからそうなるだけです。

自分だけ、かき集めようとするから、ありもしない罰を引き当てるのです。

それよりも、「今」に満足する生き方をしてみませんか?

誰かと比較して「わたしは持っていない」と嘆くよりも、「足りている」ことに満足して生きてみませんか?

「足りていない」と言う人も、「今生きて、ここに在る」事に満足するなら、何か打開策や、擁護される方向に運ばれるでしょう。

金銭的にも物質的にも、何かを得られたら、「得られたのはよかった」と思い、何も得られなくても「得られないのはよかった」と思うなら、それは全く「みこころ」を受け入れている姿勢です。

そのような人は罰を引き当てたり、自ら罰を選択する事をしません。

しゃにむに自己の利得を追い求め、かき集めようとするから、逆の一方(罰)も手にいれてしまいます。
分け与え、助け合おうとするなら、神の愛、慈悲に同期します。

作用反作用の法則です。
偏らず、その中道、「今に満足する」生き方、在り方であれば、心穏やかに、誰をも非難する事も無く、誰を見下す事も無く、誰を恨む事も無く、誰と比較する事も無く、見栄を張らず、意地を張らず、「あるがままの在る」で居られます。

そのような状態なら、真我にアプローチするのも、容易なのです。

どのような立場の人も、そのようであって欲しいと思います。
世界中の人々が、そうであって欲しいと思います。
もしもそうであるなら、この惑星は、このまま浄土となり、神の星となるでしょう。

しかし、そうはなりません。
そうなるなら、すごい事ですけど、実は、あまり意味はありません。
それは、この世界に於ける重大で重要な役割が存在するからです。
二元に分かれ、どちらかに偏る断片たちで満たされているから、この世界の偉大な意味が在るのです。

この、どうしようもなく、未完成だらけの存在達が、それぞれに関わり合い、学び合う事が出来ると言うその事が、とてもとても、素晴らしいのです。

どうしてか?・・・体験できるのは、この世界しかないのです。
この事実を思い起こしてください。

そう考えたら、なんと生まれてくる事は、尊く、有難い事だろうと改めて思うのです。

生まれてくる・・・この奇跡を、否定してはいけません。

あなたの親に向かって「だれも生んでくれなんて頼んだ覚えはない」なんて、二度と言ってはいけません。

愛されている、その故に、生まれてきたのです。
親によっても、神によっても愛されているが故に、生まれてくる奇跡が起こったのです。

これ以上の奇跡など、あるはずがありません。
そのような人々に、神は絶対に、罰など与えません。

罰は自分で選び、創り出したのです。


次回・・・この続きです。

 

 

2012-10-11

 

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