わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】祈りと、神の眼差し

誰もが人生の途上で神に祈らずには居れない場面に直面します。

わたしはこれまでに、何度神に祈った事でしょう。
それはもう、数えきれない程祈りました。
それ程人は苦悩を抱え、迷いの中を生きています。

しかし、祈りに神が応えてくれた事は、残念ながらありません。
むしろ祈る時間さえ無い程の急な危機の時に、神の方から助けてくれた事の方が圧倒的に多いのです。

今までのわたしは、自分の都合を基準に神に祈っていたのです。

この境遇をなんとかして欲しい。
人並みでいいから、もう少しだけ経済に余裕をもたらして欲しい。
あれが欲しい、これが欲しい、うだうだと要求を神に一方的に頼み込んでいました。
要求が叶う事が、願望が達成される事が、わたしにとっての幸せなのだと思い込んでいたからです。

もちろん世界平和も、悲惨な戦争が無くなりますようにとも祈っていました。

しかし、どれもこれも、神は聞き入れてくれません。

自分の都合で祈っても、それは身勝手と言うのもです。
全ての中で自分だけはこうでありたい、それはやはり、エゴそのものなのです。

そのような自己保身の身勝手を聞き入れてくれる神など、あるはずがなかったのです。

他と比較して自分はなんて惨めな存在なのだろうと思うから、そのような誤った祈りが出てきます。
その比較は常に、多くを持っている者との比較です。
自分より辛い人については、知っていながら見て見ぬふりをしていたのです。

神は既に与えている。

それが見えなかったのです。

気づいてみれば、この辛い境遇さえ神からの贈り物でした。

これを通して、わたしは自分を磨く事を学んだのです。

祈りは、神に対してではなく、全ての命に対しての願いであるべき事を知りました。

神に対しては、ただ、感謝だけを捧げるべきだと知りました。

保身というエゴを手放して、真っ正直に生きる。
神が与えてくれた全てを、ありのまま受け取って生きる。
摩擦、苦痛の多い生き方です。

でも、一旦そのように決意し、そう生きるなら。
いさぎよく、武器も鎧も捨ててしまったら。
ほんとうに素っ裸の自分になってしまったら。

持たない者は、持つようになるであろう。
エスが言うとおりでした。
それはもちろん、物質的な所有を享受できるという事ではありません。
内なる幸いを得られるという事です。

執着を捨てた者が、これほどの幸いで満たされるとは思いもよりませんでした。

自分のために祈るのではなく、他の命のために、その幸せを祈る事で、それが自分に返ってきます。
他の幸せが自分の幸せであると、真実知るなら、自分も共に満たされるのです。

他の命が幸せである事が、真実わたしの幸せです。

わたしはもはや、自分のために祈る事は無いでしょう。
人も動物も虫も、海の生き物も、植物も、あるいは静物であっても、ただ空間であっても、幸せであれと祈るだけです。
神に対してではなく、彼等に対して、そうであってくださいと、祈るだけです。

ほんとうは最初から、幸せの波動で満ち満ちている事に気づいてくださいと、祈るだけです。

そうである事の感謝を神に捧げながら、あらゆる全てに祈ります。

エゴを手放す。
これが自分を磨く事です。
磨く事で、エゴが作り出した汚れが取れていきます。
汚れが取れるから、神の光が射しこんで来ます。
神の光が射しこむから、気づきが起こります。
神を知ります。
そうであるから、恩寵を頂けます。

全ての命が幸せであれと祈るから、幸せが返ってきます。
全ての命とは、自分の中に在るからです。

我々は宇宙の小さな点ではなかったのです。
宇宙が自分の中に在るのです。
自分が宇宙を全て包んでいるのです。
それは、神がそのようであるように、自分もそれと異なってはいません。

神は自らの形に似せて人を創りました。
そのように言われる所以です。

そのように、わたしは、朝の食事をする前に、夜の就寝の前に、全てに向けて祈り、神に向けて感謝を捧げています。
これは変容が起こる何年も前からそうしています。
そのようにしなさいと、内側から言われているような気がしたからです。
神の眼差しを感じたからです。

そのように疑う事無くそうしていたら、運ばれるまま運ばれていたら、変容に導かれていたのです。

おおつごもり、それから新年を迎え、多くの人が寺社仏閣、あるいは教会に足を運び、祈願する事でしょう。

もちろん、家内安全、子孫繁栄、健康祈願など祈ってもいいのです。
それは、当然です。
ですが、このような事も、時間のある時に見つめてもらいたいと思うのです。

新しい年に、より多くの幸いをあなたが得られますように。
あなたに対して、わたしは祈ります。
神に感謝を捧げながら。

あなたも、この神の眼差しを感じられますように。

 

 

2012-12-30

 

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