わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】あるがままの自分

あるがままの自分。このように言われるとき、人は自己を見つめようとするでしょう。そうして、様々な性格上の事柄や、癖や、嗜好や、主義主張や、身体的な事や、守るべき何かについてまで考えてしまいます。あるいは、今いかに困窮しているかとか、資産的に…

【時系列 花岡修平】執着(質問へのお答え)【初出記事】

*過去記事を調べてみたが、この記事はなかった。なんと見落としていたようだ!おそらく、記事「執着・わたしのもの」と同じものと錯覚してしまったのだろう。(ブログ管理人より) --- 質問を頂きました ---執着とは何なのでしょうか? 普段私は執着…

【時系列 花岡修平】「わたし」はスーパーヒーロー

「わたし」という主語は、あくまでも主張できる相手があっての成り立ちです。例えば、この宇宙という世界に自分独りしか人間がいないという状況にあるならば、「わたし」を主張する意味などありません。それを聞いてくれる誰も居ないのですから。しかしなが…

【時系列 花岡修平】思考を観察する者はだれ? 

思考が思考の世界を、どのように解析しようが、それは思考でしかない事に気づかないのは驚きです。夢の中で、夢を見ているのだと全く気づく事がないように、思考が創り出す夢の中で全く眼を覚ましません。夢を見る者を夢が創り出しているという、この見事な…

【時系列 花岡修平】見る者と見られるものの関係から「わたしは誰か」を考察してみる

哲学的な、または宗教的な考え方を、潜めておいてください。例えば散歩をしていて、道路のわきに花を見つけたとします。しゃがんで、よく観察しようとします。その時、その花を見る事ができるでしょうか。あなたなら、確実にその花を、あるがまま見る事がで…

【時系列 花岡修平】神のお供をして

人は誰であろうと、ついには神を知る。受け入れるなら、そうなる。 あるがまま、一切を、そのあるがまま受け入れて、わたしという意識を、その意識を現し来る基にお返しするだけでいい。神はそこにいらっしゃる。難しく考える事はないのです。現れの一切は、…

【時系列 花岡修平】償うということ・2

しかしながら、罪を忘れずに生きるという事は、罪に苛まれて(さいなまれて)生きるという事ではありません。また、罪によって自らを責めるという生き方でもありません。それは起こるはずの事が起こったのであり、間違いなく学びに帰着されなければなりませ…

【時系列 花岡修平】償うということ

人はエゴを有しているから、どうしても我欲、保身の思考傾向によって、誰かに痛みを負わせてしまう。産まれてから一度たりとも罪を犯した事が無いという人はいない。時には、何もしないその事が、罪となる事さえある。あるいは、生き続けるその事も、他の動…

【時系列 花岡修平】幻と真実、つまり自我と真我の関係

今日もまた、長々と理屈っぽいお話で、申し訳ございません。読まれる方は、めんどくさがらずに、言っている事の意味を汲み取ってください。そしてこれは、重要です。もしも、あなたがエゴの立場を取ったままで「わたしは誰か?」などと問うのであれば、決し…

【時系列 花岡修平】夢と現実と真実【完全版】

*過去記事をチェックしたところ、不完全な記事であったことがわかった。昨年の春の大量掲載時に見落としていたようだ。 shikoutoshi.hatenablog.jp いつも長文で申し訳ございません。まとめ下手ですので、ご理解願います。さて、何か考えなければならないテ…

【時系列 花岡修平】神と相互リンクするのです

多分、みんな自分は自由に意志を持ち、その意思に従って行動していると思っているでしょう。自分の意志は全く自由だと思っているのです。「わたしがやっている」と思うのです。でも、自分の意志どおりに事が運ぶ事は、あるでしょうか?いくら理想を掲げても…

【時系列 花岡修平】死ぬ必要などない!

かつて、とある宗派では地面に「入定穴」なる穴を掘り、生き身のままそこに埋められ、即身仏となると言う修行が流行したそうです。命を懸けた究極の最終的苦行です。籠に結跏趺坐で乗せられ、担ぐ弟子が穴の中に安置し、土を落としていくと、「死にたくない…

【時系列 花岡修平】「在る」だけがある

わたしがこれまで綴ってきた事を、信じてしまってはいけません。ただ、真実かどうかを検証して見る事です。例えばスピリチュアルな世界、霊界や霊の存在、占い、予知、過去、未来、そのようなものがあると信じるように、信じてはいけません。それらは「宇宙…

【時系列 花岡修平】自由になって「ここ」に来てください

「わたし」は無い・・・というのは、「そのような心境になる」という事ではありません。また、そのように思いこむ事でもありません。「わたし」が有ろうが無かろうが、そのような事とは関係無く、「わたし」ではない真実実体に委ねてしまう事で「わかってし…

【時系列 花岡修平】自殺も決まっている事か?・・・とんでもありません!!

人は人生の中で、実に沢山の事を学べる。運ばれる中で。置かれた環境で。いつだってそれは、学びのチャンスだ。人は何を、あの世界に持ち帰ろうとしているのでしょう。出来事というのは、どうしても起こって行くけれど、何も起こらないで過ぎ去る人生に、な…

【時系列 花岡修平】インドラの網

この世界に流れて行く物語は、偶然などでは決してない。誰もがその中の主人公であって、その人のための物語が、他の全ての人のための物語と完全にマッチングして現れて来る。そのような縁の糸で織りなされた見事な緻密な計らいによって運ばれて行きます。多…

【時系列 花岡修平】何も心配する事などない

人は神に近づき、彼を知った後でも、この世に生活する。その時には全く無執着の生活をすることが出来るのです。そのような人は、意識の大部分を神に注ぎながら、残りの意識で世俗に生き、務めを果たすのです。自我を手放した自由を味わうなら、つまり、行為…

【時系列 花岡修平】出家

出家というのは、世俗のあれやこれや、一切を捨てて家無きに至るという事。一切を捨てる。つまり放棄をして、真実を知るために探求の生活に入るという事ですが、日本に於いては単に仏道の修行のために寺に入るという使われ方をしているように思います。本来…

【時系列 花岡修平】オオカミ少年

カミサンが突然言いました。オオカミ少年ってほんとうにいたの?オオカミ少年と言えば、「オオカミが来たぞぉー」と村人を騙し喜んでいた少年が、実際にオオカミが来たときには誰にも信じてもらえなかったというお話。いや、そっちじゃなく。森の中で行方知…

【時系列 花岡修平】神に逢いにいきなさい

もしも未だ目覚めず、それでも神の存在を疑わない立場にある人なら、この事を知ってください。「いつも、どんな時でも、神の方を向いていなさい。」これはどんな行よりも大切で、尊いものです。あなたが為した行為、あるいは為そうとしている行為に罪悪感や…

【時系列 花岡修平】人生を受け入れてみる

いつだって何もかもが自分の思い通りには運ばない。苦難の連続です。起こる事に対して、これは自分にとって苦難だと見るうちは、それは事実苦難です。財布を落とした等の小さな事から、絶望の淵に立たされるような出来事まで、毎日が苦難の連続です。起こら…

【時系列 花岡修平】プライドというマーヤ

人が他の人より優れているとか、劣っているという事はありません。ですが、世間はそのように見てしまいます。人の質とは根本からそうなのではなく、ただ役柄です。幼稚園の発表会で、園児全員が桃太郎を演じていては演技になりません。誰もが桃太郎をやりた…

【時系列 花岡修平】不二一元

昔のテレビというのは、まあ今も基本的同じなのですが、画面に映る映像は唯ひとつの点に過ぎないのを知っているでしょう。電子ビームが三色の組み合わされたドットに激突し、点のように発光しているだけなのです。それが左上から順次水平方向に素早く発光し…

【時系列 花岡修平】思考の支配者

思考を止めきれるなら。見えるものに、聞こえるものに、何も定義を貼りつける事無く、ただ見ているのです。そのとき。ありのままが見え、ありのままが聞こえているでしょう。それは、完全に「今」にいるのです。これは、完全に「ここ」を感覚しているのです…

【時系列 花岡修平】気づきは広がっている

非公開でコメントをくださる方も多くいらっしゃいます。そういう方の中にはメールアドレスを添付してくださる場合もございます。しかし、たいへん心苦しくはありますが、こちらからメールに返信する事はありません。ほんとうは親しくメールでやりとりしたい…

【時系列 花岡修平】思考の止め方(ひとつの提案)

思考ってやつは、知らないうちに忍び寄ってきて、ふと我に帰れば思考にどっぷり浸かっていたとわかります。くだらない過去の出来事や、気にかかる事や、心配事、あるいは、世俗の欲望によるものや、耳についたメロディや、そんなものが引っ切り無しに来ては…

【時系列 花岡修平】気づきの起こるところ

気づきは思考を離れたところで起こります。思考を離れて研ぎ澄まされた感覚に、送られてくるものです。思考により推理推察判断をしてみても、体験ではないから、わかるという事は困難です。思考を離れて世界を見る時、世界がある事のほうが不思議だと理解で…

【時系列 花岡修平】祈りと、神の眼差し

誰もが人生の途上で神に祈らずには居れない場面に直面します。わたしはこれまでに、何度神に祈った事でしょう。それはもう、数えきれない程祈りました。それ程人は苦悩を抱え、迷いの中を生きています。しかし、祈りに神が応えてくれた事は、残念ながらあり…

【時系列 花岡修平】救いの神子

わたしにとっては、いつもの「今」なのですが、世間では聖夜という事ですので、聖書など開いてみました。様々な登場人物がいる中で、やはり聖書なのでイエスの事がクローズアップされている訳です。これはそういう訳で、イエスの物語となっているのです。し…

【時系列 花岡修平】蟻の触角

かつてのわたしは、常に独り言をつぶやく口を頭に埋め込んでいた。そうやって、これは土だ、土くれだと、ブツブツ喋り続けていた。ある日、頭の口を塞いでいると、その口が、蟻の触角に変わった。そして今は、土くれの僅かな粒子の隙間にある蜜を、触角で注…