わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

ノンデュアリティーを巡る奇妙な日本の状況

 1)わたしは、近年の日本国内の「スピリチュアル世界」についてほとんど何も知らなかったが、二週間ほど前に、「じゅんころ」さんの動画をYoutube で全く偶然に発見し、昨年から「ノンデュアリティー」あるいは、その訳語の「非二元」が日本でブームになっていることを初めて知った。

その後、ノンデュアリティー関連の日本語の動画をいくつか見てみた。このブームの中心人物らしい大和田菜穂さんという女性の動画や彼女に非常に感心し、日本国内でプロモートしているという阿部敏郎氏の動画などだ。

これらの動画(じゅんころさんと溝口あやかさんの対談動画を含む)を見ていて非常に違和感を感じたことがある。それは、ノンデュアリティーというものの日本での受け取り方、より具体的に言えば、これらの動画のインタビュアー、出演者、それを見ている視聴者のチャットでのコメントから見えてくる日本人のノンデュアリティーの受け取り方だ。

ノンデュアリティー=nonduality という語は、advaita の英訳語であり、古代インドの本家本元のadvaita-vedanta から、ラーマナ・マハルシ、パパジ、彼らの弟子たちの系譜、また、ジャン・クライン、フランシス・ルスィユ、ルパート・スパイラ、グレッグ・グッド等のより西欧化=現代化されたいわゆる「ダイレクト・パス=direct path」の系譜、そして、もっともラディカルで賛否両論渦巻くトニー・パーソンズとその一派、さらには、禅やゾクチェン等、非常に広い範囲の流派を包含する。

しかし、今、日本でブームになっていると言われているノンデュアリティーは、トニー・パーソンズのアプローチであり、それにルパート・スパイラのアプローチが若干加わっているものといっていい。例えば、大和田菜穂氏の語彙と語り口、そして、参加者に対するスタンスは、パーソンズそのままだ。

このように「ある特定の流派=アプローチ」が、ノンデュアリティーという非常に広い流れを包含する語でもって称せられるのは問題であり、混乱を招くだけだと思う。

 

2)わたしは、以前書いた記事「提案」のコメント欄で、ある読者の方への返信として、次のように書いた:

いわゆる「スピリチュアル業界」については、わたしも常々苦々しく思っているところです。

この件については、いつか記事を書きたいと思っているのですが、ここで若干思うところを、いわゆる「アドヴァイタ系」に限定して述べてみます。

日本の「業界」は、ほとんど欧米からの輸入物で成り立っていますが、その欧米の状況は、日本では考えられないほどポップなものになってしまっています。

日本語では古くから「不二一元」と言いますが、この原語が「advaita」で、たんじゅんに「not two=不二」を意味します。
これを英訳すると、「nondual」になり、ここ十数年のうちに、すっかり、流行語のようになってしまい、何でもかんでもnondualを使うようになってしまっています。quantum=量子という語と同様の流行り具合です。

この「業界」は、いくつかの有名なメディアを持っています。
主にネットTVで、イギリスのconcious TV,ドイツのjetzt TV,アメリカのBuddha at the Gas pump などがあります。
ちょっと特別な体験をした人たちは、これらのメディアに出たがり、すぐsatsangを始めます。
そして、本を書き、セルフプロモーションを開始します。

エックハルト・トルは古株ですが、彼が有名になったのは、まず、自分で本を書き、それから、アメリカの超有名なテレビ番組Oprah Show に出演し、未来のworld teacher などど持ち上げられてからでしょう。
最近では、すっかり大物気取りです。

さらに、いわゆる「スピリチュアルマスター」たちの間での相互批判もかなりあります。Tony Parsonsらのいわゆる「ネオ・アドヴァイタ」への批判と反批判、Moojiへの批判等々。

ある日本人の若い女がドイツのJetzt TVに出ているのを見た時は、その浅薄さに見ているこっちの方が恥ずかしくなりました。

そして、こういうものが日本に輸入されて、さらにビジネス化されていくわけです。
もっとも「エゴ」を嫌うスピリチュアル世界が、もっともエゴに溢れた「スピリチュアル業界」になっているというこの何とも言えない皮肉。。。ほんとにウンザリします。

この「ある日本人の若い女性」が、現在の日本の「非二元ブーム」の中心にあることを知ったとき、思わず、「アチャ~!」という声が出てしまった。

「そして、こういうものが日本に輸入されて、さらにビジネス化されていくわけです。」という言葉は、すでに現実のものとなっていたということ。(「ノンデュアリティーの夜明け」というイベントが開催されたそうだが、なんという愚かなネーミングだろう!ノンデュアリティーに「夜明け」などないのだ!)

 

 3)「じゅんころ」さんは、ノンデュアリティーというポップな潮流に属する人ではなく、むしろ、禅の六祖慧能のような古層に属する人である、という印象を持った。彼女自身、ノンデュアリティーにカテゴライズされることを拒否している。

語彙は、パーソンズ的であることが多いが、参加者に対するスタンスが大きく異なり、真理を語ることが参加者の生活を樂にするようになっている。

また、パーソンズ一派が決して語らないことも語る。例えば、現実を受け入れ、そこに脱力して満足する時に生じる不思議な力=与えられる法則。また、ヒーリング能力。

彼女の金銭に対する態度、人前で話す活動に対する考え、参加者の支払う経費など、すべてオープンで、自然であり、「隠されたエゴ」が活動の周囲に全く見られない。

この「奇妙な状況」の中で、彼女だけはその中にありつつも抜け落ちていると感じる。