わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

Every day I listen to my heart 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Wさんからいただいた記事です。

動画を挿入しておきました。

*Hさんからいただいた同記事のコメント欄に花岡さんの日常の心の状態を問う読者の質問と花岡さんの答えがあったので、最後に付け加えておきました。(2019-05-01記)

 


www.youtube.com

 

 

Every day I listen to my heart 

 

ご存じ平原綾香さんの、ジュピターですね。

いろいろと本を書かれている吉元由美さんの作詞です。

すばらしい詩です。
泣けてきそうな詩です。
うんうん。そうだそうだって、うなずいてしまいます。

他にも、いろんな方に作品を提供されているようですが、どれもすばらしく、
彼女のその感性には驚嘆させられます。

Every day I listen to my heart ひとりじゃない
深い胸の奥でつながってる

これ以上書き込むと著作権法に抵触しますのでやめときますが、

そう、

いつだって わたしは このハートの声を聴いている。
わたしは決して孤独ではない。
みんなその奥ではつながっているんだって言ってるんですよね。

はじめて綾香さんのジュピターを聴いたとき、この出だしで、すご!って思いました。

綾香さんはリードブラス(サキソフォンとか)をやってたので、ブレス(息継ぎ)のとき、
急激に息を吸うから、声とおなじくらい大きな息音がするんですよね。
あのブレスノイズとあの声で、この出だしを歌うから、ますますハートが震えます。

この詩の続きを読めば、なおさら、すばらしい詩であることがわかります。

そのハートをいつも意識していて、そこに存在する自分!それを疑わないでください。
イメージできなくても、そこに在るんだって意識していてください。
そして、その奥底では、みんながつながっている。
しかも、
その奥底は、この宇宙世界のような、大きさというものがありません。
五つの次元を超越しているのです。

ほんとうはこの宇宙世界はその奥底である唯一で包まれているんです。
面が立体の一要素であるように、線が面の一要素であるように。

胸の「ここ」は胸と比較するから小さいように感じますが、
真実は、逆さまです。

そこに入ってしまうなら、概念とか観念とか、まるで通用しない事がわかると思います。

どこまでいっても中央です。
左右も上下もありません。
孫悟空が仏の御手から逃げるために、全速力でキントン雲を飛ばす。
ぜいぜい息を切らして、遠くに逃げる。
もうここまで来たら捕まらないだろう。
ふと見ると、やっぱり御手の中だったという感じでしょうか。

しかしながら、そこは愛と安らぎ、満ち足りた幸せで満ちています。
それが胸の「ここ」と導通しています。
自我による、かたくなな思い込み、信じ込み、欲望、野望、刷り込まれた価値観、
いろんなものが、そこを塞いでいます。

胸の「ここ」は、愛によってしか開きません。それが恩寵です。
あちら側からの愛によって与えられます。
そのためにこちら側からそこに愛を注ぎます。これは呼び水です。
意識的に注がないでください。
愛すればいいだけです。

そのためには、自分を愛する事です。
求める愛、所有の愛ではなく、自我に拠らない愛です。
それだから、自我には静かにしてもらう必要があるのです。

胸の「ここ」が開くと、それはますます存在感を増します。
なぜかと言えば、ものすごい愛が湧き出してくるからです。
言ったら愛の井戸です。

そこは「わたし」という意識にとってはコアです。
そこから溢れ出る愛は、あなたを満たし、どんどん広がり、世界に、宇宙に放射されます。
あなたはコアの愛を感じながら宇宙全ての愛を感じるでしょう。

宇宙は、あなたから出ているからです。

コアがあなたで、宇宙全部もあなたで、・・・
しかも、実在のあなたがその奥底に輝き、遍満している。

もう全てを愛さずにはいられなくなります。

その喜びで、顔はいつでも笑顔状態です。

宇宙の状態がどうなっているかとか、世界と自分の関係とか、そんなものはわからなくたっていいんです。ほんとうは。
わたしがほんとうに伝えたいのは、
あなたにわかるようになってほしいのは、ただ、この愛です。
この胸の「ここ」の強烈な愛です。
この泣いてしまう幸福感です。
喜びです。
この源泉との一体感です。
悟りなんかどうでもいいんです。
あなたにそうなってもらいたいんです。
この愛の故に、そう思ってしまうんです。

これさえあったらもう何も要らない。
この「ここ」は、あらゆる生けるものの「ここ」とつながっている。
みんな同じ愛なんだってわかるのです。

 

ハートの愛を聴いてください。毎日。
我々は一人じゃない。孤独ではない。でも、ひとつなんです。唯一なんです。


2012-04-17

 


【読者T】
自分が宇宙を包み込んでるって感覚何となくわかる気がします。 
私は時々自分が無くなって回りの一切と同化してしまったような感じになります。全体が身体になるような…地球に頭と手足が生えてる感覚と言うか…あぁすべてなんだなぁって思います。 

花岡さんは日常の感情や思考についてはどのように過ごされているのですか? 

 

 

【花岡】

やっぱり自我はありますので、なにか起こるたびに水面に波紋が広がるように感情も動きます。 
ですが、その中にあるのではなく、いつでもそれを見る側にいて見ています。 
それでも、普通に喜び、悲しみ、笑い、泣きます。 
怒り?うーん・・・最初から全てを許していれば、でてきません。 

思考も、もちろん起こりますが、捉われる事もなく、止めようとすれば、すぐ止めらます。 
なにか答えを求める必要があるときは、内側から湧いてきます。 
でも、理論的な思考、たとえば計算するとか、そういうのは頭に戻らないとできません。 
ところが、頭に戻るのは(自我に戻るのは)これでよかったっけ?みたいな、 
しっかり戻ってないような気がするのです。 
それで計算ミスするのは、戻れてないのか、もともと頭がわるいのか・・・どっちかな?