わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

今があるだけ 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。

 

今があるだけ 

 

三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提

過去・現在・未来に現れる御仏達は、
内在された偉大なる智慧によって悟りを完成された。

という程の意味でありましょうか。

アポロキティ・シュバラーがシャーリープトラーに教示している場面です。

ここで言われている三世という時間感覚。
これは、記憶が捉える全くの観念にすぎません。

にも関わらず、シュバラーが三世諸仏はと言うのは、
あなた方が知る限りの御仏達は、という受け方でいいと思うのです。

なぜって、シュバラーが言いたいのは、あらゆる現象は空より現れ、
実体の無いものだという事であるならば、時間さえ無いのですから。

感覚してみてください。

「今」が、この瞬間現れます。
次の瞬間には、もうそれは無く、新しい「今」が現れます。

瞬間瞬間、今が現れ、瞬間瞬間、消え去ります。

時間というのは、消えて行った今を、記憶が綴っている観念でしかありません。
常に永遠の「今」があるだけです。

過去は無く、記憶がそれを順番よく、お行儀よく、並べているだけです。

では、未来は?

誰でも未来を思う時、過去の記憶にそれを求めます。
過去をひな形にして、未来を想像(妄想)します。
かつて、こういう事があったから、この先もあるかも知れない。

過去が、未来を不安に陥れるのです。
在りもしない未来を心配し、
もう無くなった過去を探りながら、悔やみます。

結果、この大切な「今」を見ていないのです。

与えられているのは、いつだってこの「今」だけです。

我々が時間の軸を流れて行くのではなく、
「いま、ここ」に世界が現れているのです。
それは、瞬間瞬間、新しい今であって、
瞬間瞬間、新しい世界で、
見るもの全ては、いつでも、初めて見る世界です。

過去に縛られてどうします?
未来を心配いして、どうします?
心配したって、起こる事しか起こりません。
起こる事は、起こる必要があって起こっているのですから、
受け入れていくしかありません。

体験しなければいけないのは、今です。

どう生きてきたか、どう生きていくのか、ではないんですよ。

「今、どう生きていますか?」・・・ これ大事!

「今」を感覚し、
見えるものに名前などつけず、
これは○○○だ・・・と、断定する事なく、
ただ見る。
あるがまま、ただ見る。

その時、自分がいない事に気づいてみて!

加害者だった過去の自分はいなくていい。
被害者だった過去の自分はいなくていい。
未来を恐れる自分はいなくていい。
なにかをジャッジする自分はいなくていい。

なんと開放的な事か。 
 
 
2012-03-08