わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

質問への答え(Tさんへ)恐れについて 花岡修平「真我が目覚める時」

◎質問者のお礼の言葉と花岡さんの返信を付け加えておいた。Hさんから頂いた記事です。

 

質問への答え(Tさんへ)恐れについて

 

> 恐れを手放すと言う事が上手く出来ません。 
よいアドバイスがあったら参考にしたいのですが、よろしくお願い致します。


恐れ・・・それは「生きる」という、自我が主張する存在理由に引き戻すための作用です。

我々は何に対して恐れるのでしょう。
失う事に対して恐れるのです。
何を失う事に恐れているのでしょう。
命です。

それから分岐して、ありとあらゆる失うものへの恐怖を思います。

好きな人、親兄弟や子、思い出、地位、名誉、羨望、不動産や、大好きなお金や、
それらは生きる希望であり、失う恐れの対象です。

生きる希望というのは、いつでも安定していて、できるなら優位に立っていたいという、想い。
それが不思議な事に、積極的に思おうとしなくても、事あるごとに顔を出します。

マインドはそのようにして、あなたをいつも自我に引き戻し、縛り付けるのです。

それはもう、つまらないような事でさえ、コントロールしようとします。
例えば、病院で注射される痛みの恐怖や、
ありもしない幽霊を見る恐怖や、
体が不調だけどドクターにどんな病名を宣告されるか怖いから病院行かないだとか、
だけど病院行かないと手遅れになるかも知れないという恐怖や、
もうこうなったら無限ループです。

でも、それがあるから、人間は死を免れようと、避けようとします。
生きるためには、必要な基本作用です。

しかしながら、同時にそれは苦痛でもあります。
先行きがわからない不安、恐怖が、運ばれていく定めに逆らおうとします。
だから努力します。頑張ります。結局疲れて、病んで、苦悩します。

マインドはそうやって、自我に執着させようとしています。
でも、よく考えてみれば、

ありもしない事に対して恐れているのです。

執着がそうさせます。
それによる妄想がそうさせます。

「いま」に生きてないからです。

過去の記憶をいつもまさぐり、恐怖の種を見つけます。
そうして、ありもしない未来という妄想に咲かせます。
過去にこれが起きたから未来にも起こるだろうと決めつけます。

「いま」に生きることが大事です。

過去は存在しません。 それは記憶にすぎません。
時間というのは存在しません。
今があるだけです。
いつだって、今が、この瞬間次々に現れている今の連続で、永遠の今です。
今、満足できるなら、次の瞬間の今も、満足の今です。

そのように、運ばれます。
命は、そのように運ばれるから、運命と言われます。
だれが運ぶのでしょう?
源泉です。
神のみこころが運ぶのです。
そのように、すでに、あなたの物語はデザインされているのです。

今、そのように納得できるなら、物語のあらすじは、瞬間に書き換えられ、
宇宙の運行も、それに整合されるように、絶え間ない構築と消去が行われているんです。
かつての曲り曲がった道が、まっすぐに辻褄が合うようにマッチングされます。

キリストが言う「あなたの道をまっすぐにせよ」とは、その事です。

信頼し、まかせればいいのです。
そして現れる今を、絶対的に受け入れる事です。
恐怖しようが、しまいが、そのようにしか運ばれません。
だれも、それに自分の意志で逆らえません。

なら、まかせましょう。

まかせてしまえば、もう後は、神の責任です。
責任とってもらいましょう。

神は責任とってくれます。
だから、信頼し、感謝し、愛してください。

死さえ妄想なのです。
だれも死にません。

それでも、恐怖をほっとけない?

繰り返しますね。

恐れは、思い込みによる妄想です。
どうであれ、みこころが運ぶようにしか運ばれません。
それで大丈夫ですから、神を信頼し、まかせきり、愛してください。
マインドの暗示に騙されないでください。
あなたは、いつだって完璧です。

 

2012-03-29

 

 

 

[質問者T]早速の解答ありがとうございました。 
実は4日前に義姉が亡くなりました。主人の姉ですが、主人が3年前に亡くなったのですが、私にとっても家族にとっても大切な姉でした。義母はまだ生きています。愛する我が子を2人も亡くし、どんな思いかは筆舌につくしがたい事と思います。 

姉も主人も同じ脳死で主人は3年頑張りました。姉はその日に亡くなりました。 
どんな状態でも生きてて欲しい…そんな思いと、こちらの都合で生きてて欲しいと願うのはあまりにも勝手過ぎるのかも…など、後家族の精神面、経済面などでものすごく負担がかかります。(ご経験があるのでよくお分かりかと思います) 

身近な人の死に直面する時に究極の失う事への恐怖でいっぱいになりますね。残された私たちはどうして生きて行けばいいのよ…もう一度やり直せたら…などなど色んな思いが錯綜しますよね。 

でも私たちはこうして今生きています。何かがあったからと言って、何かが変わるわけではなく、同じように明日が来てまた一日が始まるんですね。変わって行くのは回りの景色だけなんだなぁと思いました。身を任せる…今日今読ませて頂き自分の気持ちを整理している感覚になりました。 

誰も死んだりしないんだ、私が見ている全てに感じる全てにあまねく存在しているんですよね。 
だから恐れる事は何もないんだと。 

まだエゴがいちいち出て来ますが、翻弄されずに上手くかわして行きます。 
ここへ来てその時々のピッタリのヒントを見つけていますので、どうかこれからもよろしくお願いします。 

まとまりのない長い文章でごめんなさい。

 

[花岡]お察しいたします。 

わたしも三か月前、従兄を悪性リンパ腫で、また、つい一週間前義兄を癌で亡くしました。 
Tさんも、もう会えないという、やり場のない寂しさでいっぱいでしょうが、 
とびっきりの笑顔で暮らして頂きますよう。 
それが、先にいかれた方の励みにもなり、供養にもなります。 
大丈夫、だれでも最初から救われています。