あろうとする姿勢【再掲】 花岡修平「真我が目覚める時」
◎この記事は、以前掲載した下記の記事の再掲になる。
当時は、あまりに短くて、これで全文なのかどうかわからなかったが、今回、Hさんから頂いた記事によって、全文であることが判明した。
あろうとする姿勢
善人になろうとしなくていいのです。
善人になろうとするのは、悪人であると断定しているのです。
いつだって、善人であろうという姿勢でいるのがいいのです。
神の恩寵を手に入れようとしなくていいのです。
それは得ようとして成就するものではなく、与えらえるものです。
いつだって、神の恩寵を頂けるものであろうという姿勢でいるのがいいのです。
それに成ろうとしなくていいのです。
既にそれで在るのですから。
いつだって、それであろうという姿勢でいいるのがいいのです。
いつも、どんな時も、座っている時も、日常においても、ハートに気づいているのがいいのです。
幸せは、愛は、そこからやってきます。
何がつまらないものか、何が喜ばしいものか、それでわかります。
2013-09-22