わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

「自分が消滅する恐怖」をどうしたらいいかわかりません!:質問と答え 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎前記事「信じるから宗教闘争が起こってしまう」のコメント欄で、花岡さんは読者の相談に応え、「カウンセリング」していた。それをピックアップして独立した記事にしてみた。タイトルは、読者の言葉を借用したもの。

 

 

[質問者YK]はじめまして 
突然すみません 
いつもブログ拝読しています 

鬱病の末、急に「自分が消滅する恐怖」がわき起こってどうしたらいいか分からなくなり、藁にもすがる思いでコメントしました 
怖すぎて手足が震えたり痺れたりします。頭おかしくなりそうでこわいです 
この恐怖をなくすには明け渡ししかないのでしょうか? 
私は「真我への絶対的な信頼」というのがよく分かりません。だから明け渡すこともできないような気がしています 
こんなの初めてで、手も足も出ないです 
この恐怖をなんとかして追い払うことはできないでしょうか? 
突然来て変な質問をしてしまってすみません。できたら教えてください。

 

花岡]YKさん、こんにちは。 

不安症候群ですよね。 
言いようの無い寂しさや、自分が無くなってしまうような恐怖に駆られるかと思われます。 

まず、ドクターの指導を守っていれば、抑止できるかと思います。 

そのうえで、申し上げますが。 

「大丈夫ですよ! 何も心配いりません」という事。 

拠り所を失っているのです。 
支えが見つからないだけです。 
安心してもたれかかれる何かが、実感できないだけです。 

YKさんは、「今」を忘れているのでしょう。 
たぶん、自分が今、呼吸をしている事すら、忘れていませんか? 

意識がいつでも、「今」にあるなら、自分を見失う事はありません。 

これはいつも言っている事と逆じゃないか?とみなさんは思うでしょう。 
いつもは、「自分が消えてしまう状態を感覚しなさい」と言っていますからね。 
逆が正解の立場にある人もいるのです。 

また、「信じてはいけない」と、この記事でも言っていますが、それも「信じて下さい」と申し上げます。 
更に、「明け渡さなくてもいいですよ」とも言いましょう。 

YKさんの今の状態なら、そんな事は二の次であって、まず、拠り所をもつ事が必要かと思うからです。 

では何を信じればいいのか、と言えば。 

「今」に戻って見て、自分の呼吸に気づく時、呼吸を意識してみる時、自分という明確な存在を感覚すると思います。 
呼吸をしている自分です。 

その自分が在ると言うのは、在るように現している神がそのように現さない限りは、現れません。 
その神は、いつでも強いパイプで、YKさんと連結しています。 
それを信じて下さい。 

場所的には、胸の位置。 
そこから入って、ひっくり返った世界に神は在るのだとイメージしてみてください。 
なんとなくでいいのです。 

「今」にいて、なおかつ、その神に頼ってください。 
それは絶対裏切りません。 
その神を拠り所として、その神にくつろいでください。 
その神によって、YKさんは現されていて、同時に、我々みんなも現されています。 
YKさんの神は、我々の神です。 

その事を信じて下さい。 
明け渡す事もせず、交換条件に何かを差し出す事もなく、ただ、支えとして信じるだけでいいです。 
それに自分の安全を依頼してください。 
それを拠り所としてください。 

それで、ぜんぜん大丈夫です。 
神はそのようにしてくれます。 
なぜなら、今のYKさんの状態を、全部知っているからです。 
YKさんの本体は、実は、その神の方です。 
だから大丈夫なんです。 

それを信じてください。 
この記事とは逆の事を言っていますが、反転して通って行かなければならない逆位相にある人もいるのです。 

神は裏切りません。 
安心してていいのです。 

その事が、ほんの少しでもわかってきたら、「ああ、有難い事だ」と思えてくるでしょう。 
そうしたら、感謝の言葉を、心の中で思ってください。 

そうやって、恐れを抱く自分は、本当の自分(神、あなたの源泉)と和解する事が必要です。 

信じていいです。 
何も心配いりません。 

 

[質問者YK]花岡さん、返信くださってありがとうございます 
暗闇の中で一人でいるような気分だったので、お返事いただけてとても安心しました 
読んでいて涙が出てきました 
いま昨日より落ち着いています 
呼吸のこと、神のもとでくつろぐこと、聞いた直後はなんとなく少し分かるような気がしました 
でもすぐに「神がいる=私は存在しない、消滅する、怖い!」というイメージになってしまいました 
何をしても消滅に関連づけてしまうようで、恐怖がこみ上げてきて怖いです 
どうしたら怖がらずに信頼できるでしょうか? 

 

[花岡]あらあら、ループに入っているのですね。 

信頼はすぐにはできないでしょう。 
できなくてもいいのです。 

いま、YKさんに起こっている事は、起こるようになっているから起こっているだけだという事を、わかってください。 
だから、そのまま、その状態を経験してください。 

なぜこんな事になったのか?などと考えても、しょうがない事です。 
既に起こっているのですから。 

しかし、それに何の意味があるのか?というなら、それはやがて確かな意味として理解する事になります。 
起こる事の、その先には必ず意味が用意されています。 
それだから、体験するようにできていたというのです。 

だから、ぜんぜん大丈夫なんだよと、わたしは自信を持って言えるのです。 

このまま行ったらどうなるか?とか思うでしょうが、大丈夫です。 

恐怖と戦う事をしないでください。 
恐怖というものを、ただ見ていてください。 

恐怖を見ているのは、あなたの中の「わたし」です。 
そして、恐怖を与えている何かが有るわけではありません。 
あなたが恐怖そのもの、その実体を知って、取るに足らない思い込みだとわかるように体験させられているだけです。 

蛇に恐怖しても、それが実はロープの切れ端だとわかったなら、蛇の幻影はもはやありません。 
あなたの恐怖とは、そのようなものです。 

信頼する必要はありません。 
ただ、少しずつでもわかっていければ、それは絶対に、信頼に辿り着くように出来ています。 

誰だって、体験している事は、必要だから体験しているだけです。 
心配いりません。 

信頼にこだわる事をしないでください。 
ただ、わかっていってください。 
まったく大丈夫だから、安心していいのだという事を。

 

[質問者YK]恐怖をただ見るというのはどういう事ですか?見ているだけでは何も変わらないという事はないのですか? 

でも「ただ見ていてください」と言われて、自分が恐怖を見るときに必死でいじくり回して状況を変えようとしたり、恐怖から逃げようとしていたのに気づきました。 
恐怖を排除して、なんとか安全で安心な場所を作ろうとしていました。 

恐怖を恐れず・変えようともせずただ見るということが可能なんですか?私には、頭の中を占拠している圧倒的な恐怖がとても恐ろしいです。 
対抗していないと飲み込まれてしまいそうで、何も考えずに見るということがとても怖くて難しそうなことに聞こえます 。

 

[花岡]恐怖の中に埋没するから、そのように思うのです。 
それが自我の作用です。 

離れて、恐怖を見るのです。 
恐怖している自分は、ほんとうの自分だろうか?と自分そのものに質問してください。 

自分が消えそうになる・・・これは、ただそのように思うだけで、実際消えるわけではありません。 
あなたの中の「わたし」が、創り出した「自分が消える」という妄想に「わたし」そのものが恐怖しているだけです。 
自作自演でしかありません。 

これは、脳内物質のひとつ、あるいは幾つかの分泌が減少したための鬱による誘導症状と思われます。 
それだから、ドクターの処方に従って投薬する事は有効です。 
投薬によらず克服できるなら、そのほうが理想的ですが、ドクターの指示に従ったほうがいいでしょう。 

「自分の消滅を恐れる自分を観察する」。 
これは、出来ないという人のほうが、ほとんどでしょう。 

しかし、もしも恐れる自分を客観的に見るちからがあるのなら、「見られている自分」と「見ている自分」に気づくでしょう。 

どちらもあなたの中にあります。 

落ち着いて、リラックスして、恐怖が湧いても打ち消そうとせず、見る立場にまわるのです。 
そのために、呼吸している事に気づいていなさいと言うのです。 

これは、万引きは悪い事だと知りながら、万引きしている自分を見るのと同じです。 
万引きはしてはいけないとする自分、気づいている自分を打ち消して、万引きする自分が万引きしてしまう。 

どちらの立場を取るのかは、現時点では「気づくちから」によるしかありません。 

恐怖する自分を、落ち着いて、リラックスして、冷静に客観視できるのであれば、恐怖はほんとうは無いのだとわかります。 
それは、生きていくための便利なツールだったとわかります。 

このアプローチを自分に適用できないのであれば、ドクターを信頼してください。 
その場合、精神世界、スピリチュアルなどという分野から遠のいているほうがよろしいかと思われます。
あなたがそれを、自己暗示として使っている可能性が大だからです。 

なお、わかってしまった人が「自分が消える」と言う時は、それは「全てが自分である」という事を実感し、確信するから言うのです。 
それは消滅ではなく、その逆で、自分以外のものなど何もないから、あえて「自分」を思う必要がなくなった状態の事です。 

わたしは無い。しかし全てわたしだ・・・というのはそう言う意味です。 

 

[質問者YK]本当に自己暗示に使っていたかもしれないです。気づかないうちに、自分をとても怖がらせるようなことをしていました 
お医者さんに頼ってみます 
今まで質問に丁寧に答えてくださり、本当にありがとうございました。とても助かりました。