わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

善い人・悪い人 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎読者のコメントをひとつ付け加えておいた。Hさんから頂いた記事です。

 

善い人・悪い人

 

どんな極道でも、心のどこかには、人のために善い事をしようとする、
「あがき」のような、神性、仏性を持っているに違いありません。
また、どんなに善人に見える人でも、心のどこかには、醜悪なものを潜めているかもしれません。

どんな人であっても、極と極の間にあり、そこを漂っているだけです。
そうであるなら、彼は極悪人だと、どうして断言できるでしょうか。
自らの心に、その種を抱えていながら、どうして彼を断定できるのでしょうか。

また、どうして自分は善人であるとか、彼は善人であると断言できるのでしょうか。

二元の世界で、これら二つの素因を誰もが持ち合わせているのであれば、
その断言こそが偏りです。

今までも、今でも、これからも、わたしは悪い事を一切しないと言い切ったとしても、
対極の種を持ちながら、それが芽を出さないだろうと、どうして言えるのでしょうか。

そのように両極の種を抱えているのであれば、どのような善い行いも、偽善です。

善い、悪い、と断定する分離線を、自分の意識の中に引いてるだけです。

本当の善い事は、善い事を為そうとせずに、為すそれらが結局善い結果を招く事、それが善い事です。
彼は善い事をしようと思う事無く、善い事だけをして、しかも善い事をしたという思いも起こりません。

何か人に対して、善により施したとか、救ったとか、してやったのだと思いなすなら、それは偽善者でしょう。

行為は、人のために為すのではなく、自らの糧(成長)として為されるのです。

そうであるなら、いかなる見返りをも受け取るべきではありません。
為した事に対して、贖いを受けるのであれば、神との契約による贖いを放棄したことになるのです。

それだから、優しい人でいても、優しい人と思わせる優しさを見せてはいけません。
気づかれる優しさは、どこかに気づいて欲しいという期待を隠し持っているからです。
ただ、優しくしようとせず、為すそれらが結果的に、人の心に響くなら、それは真実優しいのです。
彼は優しくしようとする事無く、優しくあって、しかも自分は優しいという思いも起こしません。

人が見ている前で、神に祈るような事をしないでください。
人は褒め、敬おうとも、そうであるなら、神は見ないでしょう。

人が見ている前で、公共の場所を掃除しないでください。
人は賞賛しようとも、そうであるなら、神は見ないでしょう。

そのように作為する事無く、ただ為す事が、善く、優しく、また、善いと思い為す事も、優しいと思い為す事も無いのであれば、
極も対極も無く、それは尊い中道に在るのです。

そのような人は、自分を断定する事がないように、誰をも断定しません。

断定されるべき万象など無い事を知っているからです。

それが、あるがまま、すなわち、中道です。

あの人は悪い人だと断定するから、あなたにとってのあの人は悪い人です。
そのようなラベルを貼ってしまうから、あなたにとっての虚像のあの人が悪い人になるのです。
断定によって価値を決めているのです。

本当は断定されるべき根拠などありません。

自分はだめな奴だと、あなたが断定するから、あなたはだめな奴なのです。
そのようなプライスシールを貼ってしまうから、だめな奴という虚像の自分を見るのです。

そのような断定すべき思い込みを止めなければいけません。
自分を責める自分の断定を解き放してください。
他人を咎める自分の断定を見直してみてください。

ねばならない。であるべきだ。・・・まちがった当たり前に疑問をもってください。

ほんとうは、あなたにとっての悪いあの人は、悪くはない事に気づきます。
ほんとうは、自分にとっての自分は、だめな奴でもなんでもない事に気づきます。

二極の中を、どちらかに偏って考えていただけなのです。

断定は、極だけを見ているのです。
あるがままは、いつだって中道です。

幻が消え去ると、あの人は結構、いい人なのです。
幻が消え去ると、自分は結構、素敵な奴なのです。

 

2012-04-20

 

 

 

[読者T]花岡さん、皆さんこんにちは。 

毎日暮らしているなかで実に色んな事を判断してますよね。 
でも最近判断してる自分に気付き「これ私じゃありません。これに気付いてるのが私です」これ以前どこかで読んだブログに書いてあり、以来使わせてもらっています。 
すると自分を否定しない変わりにきちんと気付いた自分に、すごいなぁ…やれば出来るんだ。って思えるんです。 
それと、朝今日は、何も判断しないぞ!と決めます。数分で破られる…でまたやろうと決める。 
心の中を覗く機械があったら私外歩いてるだけで石投げられ続けそう(笑)それだけ思考は浮かんでは消え浮かんでは消えしてます。 
だからこそ、思考を停止するが大事なんですね。 

Aさん幸せってなるものじゃなくて、今すぐに感じられるものなんだと思います。 
だから思考を停止すると今ここしかないなら、自然と愛が湧き、幸せと感じる事が出来るんだと思います。どこかで、思考を停止したら、次に至福がやって来ると期待してはいつまでたっても感じる事は出来ないもので、ただ感じるもので、誰にも例外なく感じられるものです。だって私にだって感じられたんですから。大丈夫! 

善い人悪い人って結局相対的に判断されてしまうものなんですね。判断する人のエゴによって。 
他人の胸三寸で決められるのって、血液型で4つにくくられる感じですね…違うか(笑)