わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】許すということ

人はどうして傷つけあうのでしょう。

誰もそうしたくはないのに、そうなってしまいます。
この世界は二元に分離することで物質現象世界を現している事は既に言いました。
相互依存の関係であり、作用反作用の形で安定しています。

それは、合わせ鏡のように、自分(主体)の状態そのものを世界(客体)に映し出し、
映し出したものをそのまま受け取っているのです。

それだから、あなたが嫌いだという相手からは同じように、あなたが嫌いだという反射が返ってきます。
声に出して言わなくても、相手はその波動に反応して、「あなたが嫌いだ」を返してくるのです。
何度も経験している、おなじみの現象ですよね?

そのように相手から不快な思いをさせられると、報復しようとします。
いつまでも不快な思いを引きずりたくないから、相手も同じ思いをする事で帳消しにしようとするのでしょう。
でも、それでは敵討ちの応報はいつまでも止まりません。

人は不快な思いをさせられる時、心の中に怒りの感情が現れます。
意図的に不快にされる事もあれば、意図せずに結果的にそうなる事もあります。
本意であろうが不本意であろうが、そんな事は怒りにとってはどうでもいい事です。

反応して湧き起る怒りを、全て相手に投げつけて同等以上のダメージを与えるなら、
怒りのマインドは満足して解放できるかも知れません。
ですが、合わせ鏡ですので、相手もそれなりに再び怒りを返してきます。
くだらない痴話げんかから、世界を巻き込む戦争まで、そのような子供じみた喧嘩です。

目には目を、歯には歯をなのでしょう。

あるいは、納得するまで相手が償う誠意を見せるなら、怒りは解放されるでしょう。
でも、そうできる人は稀です。
プライド(自尊心ではありません、それは虚栄です)がそうはさせません。
あるいは、そのように低姿勢を見せながら、心の中では怒りを恨みに変化させているのです。

どちらにしても、解放されない怒りは、恨みに形を変え、心のどこかに隠されます。
それは長い年月かかっても、隠されたまま消え去る事はありません。

だから許せないのです。
どうしたって、自分を傷つけた相手を許しきれないのです。
自分を傷つけたその行為を許せないのです。
それを許してあげれない自分を許せないのです。

自分が当事者でない場合でさえ、自己に置き換え、加害者を許せないのです。
あるいは、妄想で作り上げた事でさえ、妄想の中の相手を許せないのです。

自我を観察するのです。
体験から、感情から、怒りや、恨みそのものから学ぶのです。
内なる真我に問うのです。

そうすれば、愛が無かった事に気付くでしょう。

許しは、最上の愛です。
言ったら、許しこそが全ての人にとっての生まれなければならない課題です。
条件を置く事のない、理由をあれこれ付け加える事のない、本当の愛だけが許しきれるのです。

その愛を知らない限り、許せない事を忘れたふりをして、どこかに恨みを隠しているのです。
それは、純粋な自分を覆い隠す汚れです。
本当の愛は、神から、内なる真我からしか与えられません。
なぜなら、神はそれだからです。
本当のあなたはそれだからです。
その愛だけが、汚れを洗い流し、自分を清らかなものにしてくれます。

それだから、
さあ、感覚してください。

自我から離れ、自我を気にすることなく、うるさいマインドを放っておいて、
内なる静寂に入ってください。
思考を、想念を止めて、そこに留まってください。

そうして、その胸の聖なる部分を、神(源泉、真我)に開いてください。
そのハートを開いて、神に精査させてください。
ただ、静寂の中でハートを開いて神に見せてください。
それだけで、あなたが近づかないでも、神のほうから近づき、
あなたが自ら取り去れない汚れを、本当の愛で洗い流してくれます。
あなたがハートを通して、あらゆる自分を差し出すなら、愛と甘い静けさが砂地から水が滲みだすように、
溢れてくるでしょう。

そこにくつろいでください。
神にハートを開き、自分の全てを見せて、明け渡し、まかせてください。
知る事のなかった、真実の愛が目覚めていきます。

その愛をもって、あらゆる事を許してください。
過去の一切を、許せなかった誰をも、自分の全ても、許してください。

神は最初からあなたを許しきっています。
愛しきっています。
あなたがその聖なる部分を閉ざしていたから、気付かなかっただけです。

でも、そのように努力しないでください。
純粋にそうしたい自分に、そうさせてください。

一度では無理かも知れません。
清らかな憧れをもって、そうするうちに、そう遠くなく、それは起こるでしょう。

誰でも、本当は誰をも愛したいと、誰をも許したいと奥底ではわかっているのです。
それが、本性なのですから。


『 目には目、歯には歯。
ナイショで、ほんとうの意味を教えてあげるね。
ほんとうの意味はね、

目の痛みを与えてしまったら、目をもって償いなさい。
歯による痛みを与えてしまったなら、歯をもって償いなさい。
そのように相手を思いやり、愛しなさい。

そういう意味なんだってさ。
ハンムラビが言ってたんだ、そうなんだよって。 』



2012-04-05

 

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