わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

OMOtan さんへの返信:神に恋い焦がれる

OMOtan さんという方から、以下の記事に次のようなコメントをいただきました。

shikoutoshi.hatenablog.jp

こんにちは。初めまして。
つい数日前に花岡さんのブログに辿り着きました。
それから何日もずっと拝見していて、
昨夜は「初恋…」の記事を読んだら涙が溢れてきて
悟りに憧れを持ちながらも、もう悟れなくてもいいじゃないか
諦めたり、又欲が湧いたり。
私は鬱病を発症してもう12年です。苦労が絶え間なくあり
それこそ自死を考えた事は何度も。
花岡さんより、過酷な体験をしているなぁと自負しております。
比べてはいけませんが。笑
同世代だとも思いますし。
花岡さんの記事を読んで、胸の辺りがザワザワしたり
何がそうなっているのかもわからず、ただ何かが時々ムクムクしています。「明け渡す」がわかりませんが今は鬱さえも受け入れています。今世で悟れないならこれも良し。花岡さんのブログに出会えた事で、だいぶ気が楽になりました。
「わたし」いるようで居ないような…。
何と申し上げたら良いか言葉が見当たりませんが。
ただ何かは在ります。そんな感じです。思考?エゴ?
わかりません。
数々のブログの中から
花岡さんを見つけて本当に良かったです。
神への憧れを持ちながら今を生きます。
これからもブログを楽しみにしております。
ありがとうございます。
感謝申し上げます。
徒然なるままに。

 

 

花岡さんにとっては、平原綾香のジュピターが心に響く泣ける歌だったわけですが、

shikoutoshi.hatenablog.jp

いまだ悟りに至らない私にとっては、松任谷由実の「春よ、来い」がそれです。

「春」、「君」を「それ/ 神」に置き変えれば、神に恋い焦がれる歌そのものになります。

私たちの多くは(私を含めて)、「春」を待望する「(心の)冬」にいるわけですが、「君」の声は、瞼を閉じれば私たちの心の中で響き、その眼差しは、じつは、いつも背後から私たちの肩を抱いてくれている。。。。とくにこの曲のイントロは、春=「それ」が近づいてきている足音のようで、心躍ると同時になぜか泣けてきます。

「君」を思いながら、ひとり歩いている。。。「君」は、じつは、いつも私と一緒にいる。。。と同時に遠くにいる。。。。「君」は懐かしい。。。でも、まだ会ったことがない。。。。いつかきっと会える。。。足音が聞こえるんだから。。。。

 

この歌をOMOtan さんへ返信として贈ります。

 

 

 (ブログ管理人より)