【時系列 花岡修平】【補遺】クリシュナムルティの私生活と語ったこととの関係
*これは、前記事「クリシュナムルティ・あるがままみる」のコメント欄にあった「ある読者が発見したクリシュナムルティの私生活に関する暴露記事」についての問答。非常に興味深かかったので、独立した一本の記事にしてみた。(ちなみにこの暴露記事は必読。わたしも初めて知って驚いた!)
【読者T】 Kさんはじめまして
記事読ませて頂きました。
誰でも一度は聞いた事がある、それこそ雲の上の方と言う印象を持ってるのではないでしょうか。
Kさんの中立的な立場からのコメントに、ただのゴシップでは無いのだなぁと思いました。
人間は色んな側面を持っていて、どんなに真理に目覚めたカリスマ的な存在だろうが、泣きもするし、笑いもするんですね?
私たちの背後に横たわってる真理には全く関係ない世界の幻想に惑わされてしまうものなんですね。
私は沢山のメッセージとして受け止めました。
ありがとうございました。
【花岡】現実と真実は別の事です
コメントでクリシュナムルティのプライベートについてのサイト紹介がございました。
わたしはクリシュナムルティという人物がいかなる質(たち)のものであり、彼が日常において何をしでかしたのかなど、全く興味がございません。
しかし、彼の説く真理は全く共感できるものであり、疑いようのない真実です。
たとえそれが、過去の誰かの理論を踏襲しただけの、目新しい物でないにしても、彼がそれを自らの内に目覚めたのであるならば、それは人々の栄光に寄与するものであり、祝福なのではないでしょうか。
わたしが賞賛するのは、その真理です。
彼の口から、よどみなく溢れ出したその真言です。
彼という身体に由来する日常は、どうでもいい事です。
これら四人内の関わりが、いったい誰にどのような問題を起こしているのでしょうか。
彼ら以外の誰にとって不都合があるのでしょうか。
リーク(かげぐち)は、ただ、いたずらに人々の自我を奮い立たせているだけです。
人は表面的な事象に捉われ、真実を見て取る事はなかなか成し難いのです。
自我にはびこる固定観念で人を評価し、ジャッジしたがるのです。
目覚めるまでは、理解できない事ばかりです。
たとえ聖者、賢者の身内、肉親であってもです。
全ては組み込まれたストーリーです。
それを良い、悪いで、片方に分別し、判決を言い渡すなら、目覚めは遠いと知らなければいけません。
自分は彼を非難し、断罪する権利がある、それだけの清らかな生き方をして来たと思える人だけが、そうすればいいでしょう。
波を見れば、誰でも海だと言うかも知れない。
しかし、その波の下の深さを誰も見ようとはしない。
その深海に、どのような海が展開しているかを知る事が無い。
彼ら三人の関わる物語の約束事がそう現れているなら、純粋に引き合う愛がそこにあるなら、それでいいのです。
そこに不理解から許せないと言う感情で世間にリークした四人目がいたとしても、それは自我の呪縛に陥っただけに過ぎません。
彼らの物語は許されています。
神は、彼らにも、あなたへも罰を与えません。
それは組み立てによって起こっただけです。
罰を与えるのは、ただ、自我それだけです。
人の中に、「わたし」があるから、誰かを罪びとに仕立て上げるのです。
この事を、深く洞察してください。
刷り込まれた価値観で決めつけないでください。
思考の暗示に陥らないでください。
彼らの人生、プライベートが、我々にどのような不都合をもたらすでしょうか。
そのようなものは、どうだっていい事です。
ただ、あなたに関わる真理、真実だけが知られなければいけないのです。
*さて、読者の皆さんは、どのように思われるだろうか?
P.S.
この暴露記事が書かれているブログ「祝子川通信 Hourigawa Tsushin」の作者は大野龍一さんという方。クリシュナムルティの本の他に何冊ものスピリチュアル関連の本を訳している翻訳者。1955年生まれ。現在は宮崎県で英語塾をやっているようです。
大野さんのブログには、もうひとつクリシュナムルティに関する記事があります。
(ブログ管理人より)