わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】セミナー

花岡さんはセミナーをしないのですか?

と、数人の方に尋ねられました。
(数人といのは、需要がないからなのですよね)

はい!わたしはセミナーも講演会も行いません。

その理由は、お金が絡んでくるからです。

覚醒とか悟りとか、欲しいとか手に入れたいとか、そういう願望ではなく、ただ強い憧れがあって内側から揺さぶられる衝動が起こり探求しているという人は多いかも知れません。

あるいは、この人生の苦しみから救われたい。残りの日々を、ただ穏やかに満たされて生きられたらどんなにいいだろうと思う方もいらっしゃるでしょう。

自分の行くべき道を探して、探して、探しきれず迷っている。
そのような人に適切に道を指し示す事ができたら、なんとすばらしい事でしょう。

でも、どうもそうはならないようです。
どうしたって、人は、流れの中を流れて、体験しなければならない課題は、体験させられて行く事になるようです。

今まで何度も言ってきたように、悟り、覚醒は、人にとっての自然現象なのです。
誰もが導かれ、やがてはそれを知るに至るのです。

では、誰が導くのか?

あなたそのものです。

あなたの本性。
あなたの内なるグル。
あなたの真の存在が、導くのです。

その導きによって、どんな人も歩いています。

自分が、つまり、この「わたし」と主張するエゴが、耐えがたい苦しみ痛みにあったとしても、その状況さえ体験すべき道なのでしょう。

それは自我が偏りなく、完成される事が大切だから、つまり、体験によって学ぶ事が大切だから、不本意と思える道を歩いているのです。
別な言い方をすれば、歩かされているのです。

ある人が、わたしに道を尋ねるかも知れません。
そのような人に、出来る限りのアドバイスはして差し上げたいと思います。

でも、無料でセミナーを開催するのは、結構しんどいものがあります。
それをするには、認知症とパーキンソンで寝たきり状態の母の介護を、誰かに、または施設に託して時間を作らなければなりません。
ところがわたしには、収入が無いので、託せるだけのお金が無いのです。

では、セミナーを有料にすればいいのではないかと思うかも知れません。

それが、わたしには出来ないのです。
教えてお金を受け取るという事が、どうしてもできません。
仏陀の「衆生に教えた後では彼から粥を受け取れない」、という気持ちがよくわかります。
対価としての粥は、受け取れないのです。
純粋な布施でないのなら、無理なのです。

例えば、知らない土地を旅して道に迷った人が「駅に行くにはどう行けばいいのですか?」と聞くとします。
本当に困っているその旅人に、「教えてあげましょう、しかし、その前に料金をください」などと、どうして言えましょうか。
ほんとうに困っていて知りたい人に、お金を要求するなど、わたしにはできません。

これは、わたしの事を言っているのであって、他の方をどうこう言っているのではありません。
つまり、わたしにはそれが許されていないという事です。

自分にまつわる全てを明け渡し、差し出し、それによって恩寵を頂いたからには、人を教えて対価を貰うという行為は許されないのです。
わたしにとってそれは、自分を偽り、神を裏切る行為なのです。

覚醒した他の方は、セミナー、講演会、有料でやっているではないか?と言うかも知れません。

人の持って生まれた使命天命は様々です。
そのような役目を担って生まれた方もおられるのです。
それは許されているから、そのようにされておられるのです。

そして。

何度も言います。

誰でも、導かれて、やがては真実の自分を知る事になります。
そのようなセミナーをされておられる方に巡り合うのも、方々のサイトや、ブログに出会うのも、導かれるが故に、そうなるのです。
また、そのような精神世界に興味の無い人でも、覚醒の準備は日常を生きていくだけで、為されていくものだと思います。

わかりますか?
それだから生きているという、この現れが起こっているのです。
それが起こる事が起こるという事の意味です。

物事に偶然や、たまたま・・・など、ひとつもありません。

全て、見事に整合された、全て連動された組み立てなのです。

ですから、たとえ、そのような聖者賢者に縁なく、苦しみの道を歩いていたとしても、それも導きの途上であって、やがては知るべきを知り、知らなくてはならない事を知って行くように出来ています。

そしてまた。

これも何度も言っています。

誰か他の人が、あなたをそこに連れて行ってくれるのではありません。
聖者賢者は、直接あなたを目覚めさせてはくれません。

あなたの中に、そうさせてしまう偉大な働きがあり、覚醒の準備が出来たなら、それは起こります。

わたしがでしゃばって、そのような事をしても、だれも目覚めさせてあげる事はできません。
このブログでさえ、ほんとうは大して役には立っていないのです。

しかし神は間違っていません。
わかって初めて、きっぱりと言い切れます。
そうであるから、あなたは間違ってはいません。
あなたも、わかってみて、振り返ってみれば、今までの何から何まで、ひとつも間違ってはいなかったと気づくでしょう。

全てはこの答えのためにあった、長い長い遍歴だったのです。

この答えに至るために、長い間、問題を引きづって生きて来たのです。

ですから、今、答えを見いだせず、迷い生きている方も、ちゃんと答えは用意されています。
答えがあるから、問題はあるのです。
答えのない所に、そもそも問題などありません。

その偉大な組み立て、尊い神のみこころの前に、わたしが出来る「やるべき事」など、あるはずがありません。

わたしはただ、「道具として使われる」だけの、わたしです。
それがわたしには、喜びなのです。

そして、あなたの為すべきが何かあるとすれば、ただ、「あなたの中の偽りを見抜きなさい」という事だけです。

あなたが信じて疑わない「わたし」「身体のわたし」「宇宙とわたしの分離」そのような偽りを見抜きなさい。

あらゆる全てが、あなたであったと、
あなたこそが神であったと、知る事ができますように。

そのように導かれますように。

 

 

2013-05-29

 

 

shikoutoshi.hatenablog.jp