わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】猫の安楽死と避妊についての質問

みなさん、こんにちは。
NNKさんからの質問です。


花岡さん、皆さん、おはようございます。
突然で申し訳ないのですが、花岡さんにお聴きしたい事があります。
昨日、愛猫ががんの可能性が高いとの診断を受けました。額の奥に考えられないほどたくさんの何かが詰まっている、とのことで、病理検査に出してもらい、年末に結果がでます。 先生いわく、8割方、がんを疑っていますと。
昨日は、お酒の力をかりてしまいました。
まだ4歳で元気盛り。子供のいない私には我が子のような友達のような。
---- 中略 ----
花岡さんの、明け渡しに関する文章を読み、神様に、全てを明け渡す宣言を最近何度もしました。
今のこの不安と辛さも、すべてゆだねようと思っています。
それで、質問なのですが、安楽死についてどう思われますか。
昨日、場合によっては、癌が脳神経を圧迫すると、猫自身大きく苦しむと聞きました。まだ、突然死のほうが苦しみが少ないと。
もし、安楽死を望まれる場合はお受けしますと。
それと、ちょっと本題からずれるのですが・・
野良猫の避妊・去勢手術をすることをどう思われるでしょうか。
私は賛成派です。 人間社会で生きる野良猫は、
野生動物ではないと思うのです。
もし、できれば、ほんの少しでも、ご意見お伺いできたらと思います。

なんであれ、起こる事は起こるはずの事であり、その事が起こっているのです。
それは、みこころであり、みこころを受け入れられないとするとき、人に苦悩が現れます。

猫の病があって、その苦痛を取り除いてやりたいというのは、当然の想いです。
我々は痛みというその苦しみを知っているからです。
たとえ猫であっても、自分の病みの苦しみは、それは嫌な事でしょう。
そうであるから、飼い主は何とかしてやりたいと思うのでしょう。

安楽死

人に於いてはどうでしょう。
末期の癌で、その苦しみがあり、あと数週間、数日、この苦しみが続くだろうとされるとき、我々は意図的に彼を死に至らしめる事が出来るでしょうか。

楽にさせてやりたい。
その思いは、たしかに彼の痛み苦しみの故ではあっても、さて。
我々は、彼を死によって楽ならしめる事が許されているでしょうか。

法律的な事ではなく、彼を召すのは神であり、我々では無いのだと知っていながら、そうできるでしょうか。

また、それを考えるとき、彼の苦痛を除いてあげたいからではあっても、果たしてそれが、その苦痛の姿を見るのが耐えられないからだと言う事を否定できるでしょうか。
つまり、自分の都合で考えてはいないでしょうか。

人がひとりで生まれ来て、ひとりで帰らなければならない定めは、誰もどうにも出来ません。

それがみこころだからです。

病気だろうが、事故だろうが、災害だろうが、みこころによって、彼の寿命は既にそうあるものなのです。

彼の病が回復するなら最善を尽くすべきです。
そうではなく、その病が不治であり、遅くなく必ずやってくる最後が予見されるのであれば、命に関与する事無く可能な限り痛みを和らげる事しか出来ないのではないでしょうか。

さてそこで、延命装置による、意識を持たず生きている方はどうでしょう。
脳に血液が循環され、細胞が活動している状態であり、尚且つ意識レベルが検知できない状態。
彼は生きているでしょうか。
何年もそのままで、悲しい生を強いられている患者さんがいらっしゃいます。

それは彼の死ぬ権利、神の召し、最後の救いを、妨げているのではないでしょうか。

遺族や、医療関係者のエゴによる、誤った価値観で、彼は救いを妨げられているのではないでしょうか。
人の死ぬ権利というのは、そのような時に主張されるべきではないでしょうか。

人は生きているならば、死ぬ権利は使うべきではなく、また他の人が手助けするべき事でもなく、それは彼と神との間だけの、その神聖なる契りの故に、あくまでも神の召しによって死という救いを与えられるべきではないでしょうか。

それが、みこころであるならば、そうされなければなりません。

さて、他の命であってもそれはそのとおりに違いありません。
死にそうだから、痛そうだから、弱っているから、といって人が意図的に死に至らしめるのは、許されるでしょうか。
そんな可哀そうな姿を見るに堪えないとして、そうしていいのでしょうか。

明らかに治らない、ほどなく死に至る病気の場合、本来ならば多くの猫は自分がどうするべきかを知っています。
ある日突然姿を消し、二度と誰にも会う事はありません。
その骸さえ、探す事ができません。

街中でも、一日に実に多くの虫、鳥、哺乳類、爬虫類が死んでいきます。
山野では尚更多い事でしょう。

しかし、我々は、彼等の骸をめったに見る事ができません。
たまに、交通事故で悲惨な状態にあるそれを見る事は有りますが、病気で息絶えた彼等を我々は、ほとんど見る事が無いのです。

彼等は、自分の命の終わりを知っていて、誰にも知られない自分の墓に行くのでしょう。

(三年前、アルビノの猫が、日に当たりすぎて突然死した例を見た事はあります。
アルビノというのは、色素を持たない白い、目の青い猫です。
生まれたばかりで、どうにもできなかったのでしょう。)

家猫の場合は、それが出来る状態を超えて家の中に置かれます。
ですから飼い主は、家族としての猫の最後を看取る事になります。

しかしどうでしょう。

どのような命であれ、死は、最後の救いであり、それは神に依らなければなりません。
痛みを和らげてあげられるなら、そうして欲しい。
そうして欲しいのだけど、命が神に帰るのは、人にできる仕事ではありません。
また、人のエゴによって、それを阻止していいものでもありません。

一方で、わたしは思う事があります。

人であれ、他の命であれ、希なる極限の場合は、医師はそれを代行していいのかも知れません。
それが、患者を含めた全ての人への救いである場合が、無いとは言い切れません。
この事を深く掘り下げて言うつもりはございませんが、そのとき、神が関係者全てに及んで、純粋なる慈悲故に、そうさせる事はあるかも知れないのです。
その事を、わたしは極身近な者の体験談から、知らされたのです。
この部分について、質問しないでください。
言う事に、明らかな矛盾は認めますが、これについて答える事はできません。

次に。

野良猫の避妊手術について。

あらゆる命に想いを馳せ、気遣い、幸せであれと願うのは良い事です。

しかし、彼等の避妊は、あなたの問題ではありません。
それを、あなたの問題にした時、それだけに留まらなくなってしまいます。
世界の問題の一部分だけをトリミングして解決しようとしても、他はどうでもいいのか、という事になってしまいます。
野良犬は、増えすぎて野菜を荒らす鹿は、果ては格差社会による貧困層の堕胎問題にまで、発展するかも知れません。

まず、あなたの問題を、クリアするのがいいと思います。

わたし、花岡はどう思うか、という質問でした。
世界は、わたしにその解決策を求めてはいません。
関係者、関係地域、団体、組織、そのようなものが種を絶やす事無く、対処してくれるかも知れません。

どうであれ、みこころがそうなっていれば、調度良くそれはそうなります。

わたしにとってやるべき事は、内なる神に留まり、外なる神とも共にある事だけです。

何も望まず、与えられた命を、与えられた分生きるだけです。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

いつも来て下さる方、はじめてお名前を伺う方、ほんとうに真剣なコメントをお寄せ頂き、心から感謝申し上げます。
ほんとうに内容の濃い、お話がいっぱいで、とても嬉しく思います。

家事やら介護やら、雪かきやら、家屋の修繕やら、忙しさにかまけてレスも差し上げず、お許しください。

これからもどうぞよろしくお願い致します。

 

2013-12-19

 

shikoutoshi.hatenablog.jp