わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】人は問題を自ら作り出してはいないだろうか【初出記事】

*私の記憶では、この記事は過去にアップしているのだが、実際に調べてみると見つからなかったので「初出記事」としておく。(ブログ管理人より)

 

無いものが現れて
記憶に吸い込まれ
過去へと落ちていく

消え去るのなら、たぶん実体ではないのでしょう。
そうではあっても、現れるのだから、それには何かしらの意味があるのでしょう。

因果法則と言う表面的な意味ではありません。
そのような、連鎖的スケジュールの必然ではなく。

それとは別に、それが現れる事がなぜ必要かという根本的な意味があると思うのです。
それはたぶん、人を成長させるための、つまり自我をあるべき姿に導くための、用意された、味わうべき必然の事柄なのでしょう。

ではなぜ、そういう事になっているのでしょう。
なぜそういう仕組みが出来上がっているのでしょう。

人の叡智では計り知れない何者かの意思、「そう在れ」とする絶対唯一の「在る」が在る。

何者もそれに拠らない者はない。
何物もそれに拠らない物はない。
何事もそれに拠らない事はない。

それが、絶対者その者の生であり、活動であり、作用であり、意であり、愛であるから。

それはただ、現れて
人の記憶に吸い込まれ
過去へと落ちていく

しかし、もっと人にとっての大切な意味を、我々は見落としてはいないでしょうか。

我々は、ただ現れ来る一切に、自分で意味づけしながら体験し、体験した事に更に意味づけしながら、意味づけの生を生きていく。

意味づけの連続。

それが物語。

最も大切なものは、この意味、この意味づけではないでしょうか。

つまり、人がぞれ自身で意味づける、その意味が重要ではないでしょうか。

それによって人は、幸せにも不幸にもなれる。
天使にも悪魔にもなれる。
錯乱にも陥り、解放にも至れる。
信じるにも陥り、判るにも抜け出せる。

自分を虐めた彼は、自分を判るに導く手助けの為にそれをして、自分は彼に判るに導く為の手助けをその事で為していた事を知るように、個々のエゴは、個々のエゴを解放に導くために、相互に手助けをしながら、お互いの物語を意味づけていたのを知って行くのではないでしょうか。

意味づけによって人は不幸になり、苦悩し、時に錯乱もするだろうけれど、ほんとうは何も間違っていない。

あるいは、間違いさえ、間違いに気づく事によって、大切な真理を知るための必要な間違いなのかも知れない。

真理を知るために、人は意味づけを検証する必要があるのではないでしょうか。

悟る必要など人にはないのだけれど、物語を生きて、体験し、味わい、何かしら知って行く。
知る事で意味づけは、変わって行く。
そうやって遂に、人は悟ってしまう。

悟る必要など人にはないのだけれど、それでも人は、悟りから逃れられない。
やがていつか、その衝動が起こってくる。

体験の積み重ねが、そうさせてしまう。

人の遍歴、輪廻とはそういうものではないでしょうか。

もしも、今悟りたいなら、今その衝動、渇望を感じるなら、自分の意味づけているその意味づけを、検証するべきです。

苦しい苦しいと、泣いて暮らすのが嫌ならば、苦しいと意味づけるそれを曇りの無い目で見てはどうでしょうか。
それは本当に苦しみの対象なのでしょうか。
そもそも、それは自分の問題としてあるのでしょうか。

自分の問題でもないのに、自ら関わって自分の問題にしてしまってはいないでしょうか。

気が付けば、自分の問題など、そんなに多くはないのです。
意味づけて、それによって関与するから、意味づけで反応するから、余計な事柄が自分の問題になってしまうのです。

たとえ眼の前で怒りを向けてくる人がいても、彼の不理解によって彼が怒るのであれば、それは彼の問題です。
それに感情で反応し、関与するから自分の問題としてしまうのです。

あるがまま起こる事を、あるがまま見る。
あるがままに、享受する。
それが、みこころを受け入れると言う事です。

不思議な意味づけをするから、全てが許せない対象になる。
それだから、苦しい世界を作り出す。
自分の問題にしてしまうからです。

あるがまま、みこころを享受するなら、全てを許せる。

あなたの世界は、まるっきり、あなたのために用意されています。
あなたは、主演者であり、他の全ての人は助演者です。

感情のままに意味づける事をしないで、検証してみてください。


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匿名さん。

お久しぶりです。
あなたを、忘れてはいません。
元気にお暮しでしょうか。

恥ずかしがる事も、恐れる事もありません。
コメントは堂々と公開していいのではないでしょうか。

大切なものを失うという恐れ、その思う大切なものは、真実大切なものでしょうか。
そういう意味づけをしているだけではないでしょうか。
真実大切なものは、決して失う事はありません。
それは見つからないものではなく、ただ、気づかないだけなのではないでしょうか。

PCの情報漏れについては、詳しくはありません。
お役に立てず、申し訳ありません。

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Rさん。

どのような覚者の本やブログを読んでも、直接話を聞いても、知識として記憶するのでは無意味です。

あなたが確実にわかるのでなければ、どちらが正しいとか偽りだとか、そんな事さえどうでもいい事です。

あなたの感性が求めるものを求めるのがいいのではないでしょうか。
あなたの感性は、それがわかるはずです。
その感性に響く事柄に、あなたが自身でわかっていく事が必要です。

あなたの中に、わかる「ちから」があります。
知識を信じるのではなく、わかる「ちから」で、わかる事が必要です。

他者の言う事、その優劣、真偽、そのようなものを追究している場合じゃありません。
あなたの中の、わかる「ちから」に問いなさい。
それは、教えてくれます。
ものすごい事を。

 

2014-02-16

 

 

 

【読者S】 おはようございます

花岡さん 

いつもありがとうございます。 

求めていた答えを頂き、ただただ感謝の気持ちで 
いっぱいです。 

この偶然も必然だと、私は意味づけしています。 

神様に呼んでもらえませんが、その存在を感じるだけで幸せです。 

本日も花岡さん、皆様にとって良い一日でありますように。

 

【読者H】連鎖

>我々は、ただ現れ来る一切に、自分で意味づけしながら体験し、体験した事に更に意味づけしながら、意味づけの生を生きていく。 
>意味づけの連続。 

すごく思い当たる事があります。 

大好きな友達Aさんに「その服ちょっと似合わないよ」と言われた時 
アドバイスしてくれたんだ、なんて親切なんだ!と思い、益々好きになりました。しかし 
大嫌いな友達Bさんに「その服ちょっと似合わないよ」と言われた時 
批判された、嫌な事を言われた、意地悪された!と思い、益々嫌いになりました。 

意味づけが重なれば重なる程、意味づけが強固になり、自分の中で絶対的な意味づけになってしまいますね。そして、友達Bさんを懲らしめる為にはどうしたら良いのか、とか、友達Bさんに会わないようにする為にはどうしたら良いのか、と問題意識・コントロール欲が出てきて人生が複雑にネガティブになって来る…。 

そもそも自分が、二人の友達に対し、大好き・大嫌いと意味づけをした事が全ての発端だったんだ、と気づけたとき ↓ 

>あなたの世界は、まるっきり、あなたのために用意されています。 

この事に気づけますね。

 

 

【読者P】不思議な意味づけ

花岡さん、こんんちは。 

>不思議な意味づけをするから 
>それだから、苦しい世界を作り出す。 

本当にそうなんだって思いました。 
私が私流の意味づけをしているだけなんだって思いました。 
一瞬一瞬をさらさらと生きていればいいんだけれど、 
感情に捉まると、記憶の連鎖にどんどん積み重ねて、苦しさを重ねているんですよね。 

平穏にしていたいと思います。 

花岡さんも皆さんも、寒い毎日ですが健康にお過ごし下さい。

【読者T】

ポジティブな意味づけをしたとしても、 
それに相反する意味付けも強固になりそうですね。 
何も意味づせずに生きて行けば楽になりそう。 

 

 

【読者K】 思考の連鎖

花岡さん、皆さんおはようございます。 

私も皆さんと同じように、共感するところがありました。 
ベストなタイミングで、自分の考えていることにお答えを頂ける感じです。 
シンクロニシティが、働いている!と、思うことさえ、実は私の意味付けだと気づきました。 

ああ、そうだったのか!と思えたなら、そこでストップをしないと、更に意味付けを重ねてしまう。 
まるでシーソーラスのように。

 

 

【読者P】おはようございます

花岡さん、おはようございます。 

何回も何回も花岡さんの文章を読み返して、意味づけを理解しようとしているのですが上手くいかなくて 
どうしたら良いのか、教えて下さい。 

朝、目覚めと共に繋がれてしまう、昨日の続きの記憶。 
あっ、またここから今日の時間を過ごすのかと気が重く、うまく抜け出すことが出来ません。 

初孫に恵まれて嬉しいと思ったのも一瞬で、その後は苦悩ばかりです。 
お嫁さんは自分の実家ばかり、息子までお婿に出したわけでもないのに何もかもお嫁さんの言いなりです。 
全てはお嫁さんの実家の母親が仕切っていて、私はまだ数時間しか孫を見せてもらえないです。 
このままこの状態がずっと続くのでしょうね。 
もの凄い疎外感と、ここまでないがしろにされるのかと悲しみに襲われます。 
この疎外感もないがしろにされているも、自分でつけた意味づけになりますよね? 
でも、この人間感情にとても苦しんでいます。 

孫は存在してくれていれば、それで良いんだからと、遠くから見守っていれば良いんだからと、 
自分に言い聞かせているんですが、この寂しい感情に捕まりっぱなしで、 
「神様 ただいま」となかなか上手く帰ることが出来ずにいます。 

花岡さん、皆さんに、 
「なんだ、そんなことでお悩みですか?」と笑われてしまいますね? 
答えは花岡さんの文章にあるのに、私感覚の日常はやっぱり苦しくなってしまっています。 

>自分の問題でもないのに、自ら関わって自分の問題にしてしまってはいないでしょうか。 
やっぱり、自分の子供じゃないのにということなんでしょうね? 


愚痴になってしまってごめんなさい。 
花岡さん、皆さん、今日の一日も善い日でありますように。

 

 

【読者H】Pさんへ

こんにちは H と申します。 
Pさんのコメントを拝見し、過去の花岡さんの記事が参考になるのではないか、と思い、お節介とは思いますが投稿させて頂きます。 
ご紹介する記事は"意味づけ"にポイントを置いている記事ではありませんが"意味づけ"にとても関連している記事です。 

「宇宙即我・宇宙とはあなたの事です 」

>あなたが見ている世界は、あなたの中にあって、そうであるなら、全部があなたです。 
>見ている世界が全部「わたし」だと、イメージしてみてください。 
>外の景色を見ながら、これら全ては「わたし」だと感覚してみてください。 
>そして、全てのわたしを愛してください。 
(中略) 
>世界は、あなたの中にあります。 
>あなたが世界の中に放り出されたわけではありません。 

いかがでしょうか。 世界=自分。 
もし、ピントこなくても、花岡さんが提案されている部分を実行なさってみてはいかがでしょうか。 

>見ている世界が全部「わたし」だと、イメージしてみてください。 

息子さん、お嫁さん、お嫁さんのお母様、お孫さん…、全てを自分と思ってみてください。 
そうすると、現状の意味づけが少し変わってきませんでしょうか? 
もし世界=自分とイメージ出来るのでしたら、是非、そのまま過ごされると良いのでは、と経験から思っております。そう過ごしている間に、二元(あなたと私は違うと言う対立関係の意味づけ等)から自然に放れられると思います。 

もし世界=自分とイメージ出来ないのでしたら、特定の誰か・何かに強いネガティブな意味づけをしておられるか、もしくは、特定の誰か・何かを崇拝しておられるか、のどちらかではないかと思います。 

>宇宙即我、そして、天上天下唯我独尊、これは思い上がりでも何でもなく、事実そのものであって、それだから全てを愛しなさいと言うのです。 
>その真我に気づいてください。 
(中略) 
>ほんとうは愛があるだけなんです。 

今回の記事に戻りますが 

>あなたの世界は、まるっきり、あなたのために用意されています。 

この部分の本当の意味が分かってくると思います。いかがでしょうか。

 

 

【読者P】 Hさん、ありがとうございます。

Hさん、こんばんは。 
私のコメントにお返事を頂いてありがとうございます。 

私の見ている世界が自分そのもの、そうなんです。 
息子もお嫁さんもお嫁さんの母親も孫も全部私と見る、 
みんな自分の出来ることを精一杯やっているだけなんです。 

でも、目の前で繰り拡がっている現象に、 
どうして私がこの必要とされない役割をやってるの??って、 
ちっぽけな自我と闘いっぱなしでした。 

息子しか持たない母親はここまで寂しい思いをするのね、今体験中って、 
これからまた違うお嫁さんが来ても、多分孫の面倒は見れないかもだから、 
これは続くことなのねって、今朝は最悪の気分で過ごしていましたが、 
自分自身を少し離れて見ることが出来ました。 

>あなたの世界は、まるっきり、あなたのために用意されています。 
私はただ受け入れるしかないのですね。 

H さん、ありがとうございました。

 

 

【読者H】Pさんへ

もうご存知だったのですね。 
失礼致しました。 

ありがとうございました。

 

 

【読者P】 H さんへ

H さん、気にかけて下さってありがとうございます。 
やっと抜け出してくることが出来ました。 
今回捉まってしまった苦悩は、抜け出すのが正直本当に大変でした。 
感情と思考の世界をどうどう巡りで、これ妄想の世界ですね。 
もう大丈夫です、のつもりです。 
花岡さん、皆さん、コメント欄を使わせて頂いてありがとうございました。 

皆さんもどうぞ平安にお過ごし下さい。

【読者SO】はじめまして

はじめまして。花岡さん。 

一昨年、人生を大きく揺らす出来事があり、さらに、先日、それすら小さく思える事が起りました。 

生き方や信じてきた道を、ひとつひとつを精査する作業が続き、有形無形のあらゆるものを捨て、真我に沿った生き方をさせてくださいと願いました。 

羅針盤を失った船のような航海が始まり、揉まれても自力で立ち上がろうと覚悟を決めとき、花岡さんのブログに出会いました。 

長年、精神世界を勉強してきましたが、これほどまでに、魂を揺さぶるようなものに出会ったことが無く、泣きながら拝見しました。 
絡んでいた糸がするすると解れていくようでした。 

心をピュアにして、余分なものをそぎ落として、 
艱難辛苦を乗り越える覚悟ができたから、 
守ってくださっている存在が、貴方に出会わせてくれたような気がしています。 

本当にありがとうございます。

 

 

【読者PG】宇宙について

花岡様 はじめまして  

どうしてもわからないことがあります。 

この宇宙はあなたが作っているものです。 
と言いながら、集合意識が作っています。という 
説もあります。 

貴方一人が作っている宇宙なら、周りにいる人間は自分の意識を投影しているダミーで、自分以外の人はひとりもいないのでしょうか? 

でも、世界は集合意識の現れだというなら、人々はすべて自分の内側から世界をみているけれど、それぞれが違う世界をみているので人の数だけ宇宙が存在すると言っているのか、それとも一つの宇宙に人々が存在するのか。 

または人の数だけ宇宙があり、関わっている部分で少しづつ重なっているのでしょうか? 


もし、自分で作っている宇宙がひとつだけあるのでしたら 
集合意識ではなく、すべてが自分の意識ということに 
なりますよね。 


どうぞよろしくお願いいたします。