わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

人生は「気づき」につながる大切な課題です 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんからいただいた記事です。

 

人生は「気づき」につながる大切な課題です

気づきにつながる過程は、誰も一様ではありません。
それぞれが、それぞれに用意された自分の物語があり、
わたしはわたしの物語をそのまま生きて、結果こうなりました。

どこかインドとかヒマラヤとかチベットとかの聖人がこう言っているから、
それ以外の到達の方法は無いんだというものでもありまんせん。
彼はそういう過程で到達したのは確実ですが、
過程は、それぞれの人に既に用意されています。

「わたしは誰か」でもいいのですが、
「あるがままに見る」でもいいのですが、
「わたしは在る」でもいいのですが、
こだわり信じ、執着していては、自分の課題を見失います。

今、苦悩の中にいる人がいて、今、楽しい人生を生きている人がいて、
ほんと生きていくのは、しんどくて、ややっこしい。

でもね

それはみんな、その人にどうしても経験しなければならない課題を生きているんです。
自ら選択し、選択したから与えられた課題の生なんです。
言ったら、その苦悩でさえ源泉の愛によって与えられているんです。

起こる事は、どうしたって起きてしまう。
起こるはずのない事は、起こりようがないのです。

だからだれもが、今、そのままで間違っていません。
そのままで、完璧です。
だれもが許されきっていて、だれもが愛されきっているんです。

我々は苦悩の原因を過去に探します。
そうであるならば、過去の一切が、あらゆる存在が原因に関わってきます。

こう考えてください。

誰もが今すでに、このまま悟っている。だけどそれに気づいていない。
しかし、いつか必ず誰にも気づきが訪れる。
その輝かしい事のために、今、この苦悩を体験している。
この原因は、その輝かしい事そのもののためにあるんだと。

まだ来ぬ結果が、そのまま今現れている事の原因です。
そうでなければ苦悩する意味など、どこにあるのでしょうか?
なんであれ、無意味な事など何一つありません。

今、ありのまま、生きていることが、
それだけで、気づきに向かっているんですよ。

だから何も心配いらない。
焦りも、恐怖もいらない。
課題を楽しんで生きてください。

開き直って、苦しみさえ楽しんで生きてください。

みこころに運ばれてください。
わたしは、認知症の母の介護と、鬱のかみさんの世話で、しんどさを楽しんでいます。
何もわからない母の胸に掌を当てて、「神はここに在るんだよ」って。
そうすると、穏やかな笑みを返してくれるんです。
神はここに。そしてそれはそのまま、あなたです。

 

2012-03-11