わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

2015-01-01から1年間の記事一覧

何も心配する事などない 花岡修平 「真我が目覚める時」

*e さんという方から送っていただいた記事を掲載します。e さん、ほんとうにありがとうございました。 何も心配することなどない 人は神に近づき、彼を知った後でも、この世に生活する。 その時には全く無執着の生活をすることが出来るのです。 そのような…

提案

このブログは、ある少数の読者の方々に、恐ろしいほど熱心に読まれている。 アクセス解析をしてみると、その様子が手にとるようにわかり、いかに花岡さんの言葉が人々の心の奥深くまで届くか、驚くばかり。 みなさん、携帯で、ipad で、PC でと、暇さえあれ…

「在る」だけがある 花岡修平 「真我が目覚める時」

「在る」だけがある わたしがこれまで綴ってきた事を、信じてしまってはいけません。 ただ、真実かどうかを検証して見る事です。 例えばスピリチュアルな世界、霊界や霊の存在、占い、予知、過去、未来、 そのようなものがあると信じるように、信じてはいけ…

「わたし」ではなく「わかる」として 花岡修平 「真我が目覚める時」

*読者からの質問に答えた記事と思われる。 「わたし」ではなく「わかる」として 心眼とは、「わかる眼」です。 イメージとして見る目ではありません。 心眼という眼は、見るというより「解く」あるいは「わかる」そのもの。 「わたし」と言う者を泳がせてい…

神とリンクしている 花岡修平 「真我が目覚める時」

神とリンクしている 多分、みんな自分は自由に意志を持ち、 その意思に従って行動していると思っているでしょう。 自分の意志は全く自由だと思っているのです。 「わたしがやっている」と思うのです。 でも、自分の意志どおりに事が運ぶ事は、あるでしょうか…

あるがままに見る (2) 花岡修平 「真我が目覚める時」

あるがままに見る(2) クリシュナムルティが言う、「あるがまま見なさい」ということ。 「あるがまま」で居ないと、「あるがまま見る」ことはできません。彼は来訪者と共に座り、緑豊かな周りの景色を見て、木立ちを渡る風、鳥たちのさえずり、清涼な静け…

あるがままに見る 花岡修平 「真我が目覚める時」

例えば散歩をしていて、道路のわきに花を見つけたとします。 しゃがんで、よく観察しようとします。 その時、その花を見る事ができるでしょうか。 あなたなら、確実にその花を、あるがまま見る事ができますか? 人がその花を発見し、見つめる時、思考が過去…

あるがままの自分 花岡修平 「真我が目覚める時」

あるがままの自分。 このように言われるとき、人は自己を見つめようとするでしょう。そうして、様々な性格上の事柄や、癖や、嗜好や、主義主張や、身体的な事や、守るべき何かについてまで考えてしまいます。 あるいは、今いかに困窮しているかとか、資産的…

「わたし」という分離と人生の学び 花岡修平 「真我が目覚める時」

*表題は、記事の内容に即して私が付けた。 「わたし」という分離と人生の学び あなたが認識する全てはあなたの中で展開されているのです。日常のささいな出来事も、宇宙の壮大な運行も、あなたの意識の中に起こっている事です。 「わたし」という主体が現れ…

「わたし」という幻想・神の正体 花岡修平 「真我が目覚める時」

*読者の質問に答えた記事、あるいはコメント欄での返信と思われる。タイトルは、内容に即して私の判断で付けた。 「わたし」という幻想・神の正体 思考とは、マインドそのもの。あなたにとっての「わたし」です。あなたが思考するとき、あなたにとっての「…

分離はない 花岡修平 「真我が目覚める時」

分離はない 主語を使わない、あるいは、犬とか猫とか、木とか空とか雲とか、名詞を使わない。そのような事が、何の役に立つのかと言う事を、以前申し上げました。 これは、世界に置かれた個々についての境目を消し去る事なのです。 そのような気持ちで周囲を…

記憶の中に住まないように 花岡修平 「真我が目覚める時」

*内容から判断すると読者の質問にたいする答えのように思える。 記憶の中に住まないように 本来のあなたは、どのような者であったのでしょう。本来のあなたは、記憶に住む者でしょうか。それとも、記憶の前を行く者でしょうか。つまり、今に住む者でしょう…

夢と現実と真実 花岡修平 「真我が目覚める時」

*ある方から送っていただいた花岡さんの記事をこれから掲載していきます。どれもすばらしく重要なものばかりです。Nさん、ありがとうございました。 (各記事のタイトルはオリジナルのものではなく、送ってくださった方が記事の内容に基づいてご自分でつけ…

感謝

この小さなブログが、ある少数の人々に熱心に読まれていることがわかりました。 嬉しいことです。有難いことです。 読んでくださる方々に感謝申し上げます。 ブログ主より。

花岡修平 「真我が目覚める時」 後記

これで、私が保存しておいたすべての記事を掲載し終えた。 多いとは言えないが、花岡修平「真我が目覚める時」の エッセンスが凝縮されていると思う。 そこには真我覚醒に至る道が、そして、その内なる風景が すべて明瞭に述べられている。 おそらく、これら…

言いたかった事 花岡修平 「真我が目覚める時」

*「花岡さんの話を聞くミーティングのようなものを開催してはどうか。 やるなら、私が幹事になってもいい。」という趣旨の申し出をある読者がし、 花岡さんは、それに対する返事を書いた。この記事はその返事をより詳しく 説明しようとしたもの。 言いたか…

わかる......の現れ方  花岡修平 「真我が目覚める時」

わかる......の現れ方 ひと度この内側に気付き、これを忘れないでいるなら、あるいは忘れる事が 度々あるとしても、都度すぐに内側に向き直るよう努め、日常を送るなら。 木々の梢の間から、ちらちらと木漏れさす朝日のように、智慧、明知が、 時折現れ来る…

わたしは誰か? 花岡修平 「真我が目覚める時」

わたしは誰か? 削除した記事ですが、読んでいなかった方からリクエストがございましたので、 内容を一部修正して再度掲載致します。 既に読まれた方には、新鮮味がないでしょうが、勘弁してください。 さて、「わたしは誰か?」 ラマナ・マハルシの教えの中…

行きつ戻りつ 花岡修平 「真我が目覚める時」

*読者からの質問に答えたもの。読者の名前は伏せ、OOさんとする。 理解しにくいと思われる部分には、赤字のカッコで補足語を挿入した。 誤表記、不適切と思われたカッコ記号等は、私の判断で訂正した。 行きつ戻りつ OOさんから、質問を頂きました。 行きつ…

ワンネスに気づく 花岡修平 「真我が目覚める時」

ワンネスに気づく 今まで我々は、ひとつの世界の中に自分がいて、同時にあの人がいて、・・・ そのように思い込んでいました。 そのように思わせる自我(エゴ)によってです。 しかし、ほんとうは自分のその自我意識の中に世界が、 宇宙が展開されているので…

真我に帰るという事 花岡修平 「真我が目覚める時」

真我に帰るという事 ほんとうは過去も未来も存在しません。 「瞬間の今」があるだけです。 今が次々と現れては消えていきます。 それを我々は順次、記憶に仕舞い込みます。 何かを見たとします。 その何かを定義づけるために、記憶をまさぐり、 程よいものを…

不二一元 花岡修平 「真我が目覚める時」

不二一元 昔のテレビというのは、まあ今も基本的同じなのですが、画面に映る映像は唯ひとつの点に過ぎないのを知っているでしょう。 電子ビームが三色の組み合わされたドットに激突し、点のように発光しているだけなのです。 それが左上から順次水平方向に素…

道・その尊さについて 花岡修平 「真我が目覚める時」

道・その尊さについて 誰であろうと、自分が歩いているその道が自分の道であって、 それ以外の道があるのではありません。 気づかないかも知れないけれど、その自分の道こそが、神の道であり、 仏の道なのです。 自分の道は間違っている、自分は道に迷ってい…

あろうとする姿勢 花岡修平 「真我が目覚める時」

*この記事はとても短い。これで全文なのか、それとも記事の一部なのか、今となってはわからない。 在ろうとする姿勢 善人になろうとしなくていいのです。 善人になろうとするのは、悪人であると断定しているのです。 いつだって善人であろうという姿勢でい…

思考の支配者 花岡修平 「真我が目覚める時」

思考の支配者 思考を止めきれるなら。見えるものに、聞こえるものに、何も定義を貼りつける事無く、 ただ見ているのです。そのとき。ありのままが見え、ありのままが聞こえているでしょう。それは、完全に「今」にいるのです。これは、完全に「ここ」を感覚…

探求者の次の一歩 花岡修平 「真我が目覚める時」

*これも読者の質問に答えたもの。 探求者の次の一歩 あなたに現れたもの(事業の失敗、葛藤)が、なぜあなたに現れたの でしょうか。 なぜに、あなたなのでしょうか。 それをあなたが求めなかったとしても、あなたに必要だったから現れたのだとは思えないで…

必要なことが与えられるのです 花岡修平 「真我が目覚める時」

*ある読者の質問に対する花岡さんの答え。質問者の名前は伏せ、OOさんとする。 体験したいからというより 必要なことが与えられるのです OOさんからの質問です。 実は私には逃げ癖があり、しんどいことから逃げていることが多いと最近になって気づきました…

与えられる法則 花岡修平 「真我が目覚める時」

引き寄せの法則から、与えられる法則へ 人は望んだものを引き寄せるという、いあゆる引き寄せの法則。 これをもしもこの自我の「わたし」がやってみるならば、確かに 何かしらのものを引き寄せられるかもしれません。 二元の世界、相対の世界で、表と裏を分…

どん底にこだわらない 花岡修平 「真我が目覚める時」

どん底にこだわらない 私の体験を聞いた人は、みなさん、同じようなことを言う。 そういう人生のどん底を経験しないと、自我の明け渡しは不可能なのですか? 自分には耐える自信がない。 わたしは、そんな苦しみを味わうことなく悟りたい。 瞑想で悟ると聞き…

真我・ゴム手袋の比喩 花岡修平 「真我が目覚める時」

真我・ゴム手袋の比喩 自我に現れる世界を我々はリアルな世界と思っています。 ところが考えてみると、誰もがいずれ臨終を迎え、この身体を失い、 このリアルな現実さえ手放してしまいます。 そうであるなら、これは確かな真実であると言えるでしょうか? 真…