わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

ワンネスに気づく 花岡修平 「真我が目覚める時」

ワンネスに気づく 

 

今まで我々は、ひとつの世界の中に自分がいて、同時にあの人がいて、・・・

そのように思い込んでいました。

 

そのように思わせる自我(エゴ)によってです。

しかし、ほんとうは自分のその自我意識の中に世界が、

宇宙が展開されているのです。

世界の中に自分がいるのではなく、自分の中に世界があるのです。

 

自分の意識の中で宇宙が現れては消えていきます。

それらは既にデザインされているストーリーによって、

全く自発的に起こって行きます。

我々はそれを見せられているだけです。

 

我々が眠りに入り夢を見るように、この現象世界もまた、夢にすぎません。

眠りに入り見るその夢の中に、あり得ない人物が現れたり、

あり得ない行動をしたとしても、それがあり得ない事なのだと

特に思うこともなく、夢を見ています。

 

例えば既にこの世を去った人と会話していたり、身体のまま空を

浮遊していたり、そうであっても特にあり得ないなどと思わず

夢の中で活躍しています。

それは自分で夢というフィールドの中に自分で作り出した

夢の自分の物語を展開しているから、否定する根拠を見出す事

が出来ないからでしょう。

 

現実世界でのこの現実という夢も、現実という意識の中に何者かが

物語を展開して、それを特にあり得ないなどと思う事なく、リアルな

世界として否定する事はありません。

 

それは人それぞれに、それぞれの現象世界をそれぞれの中に展開しています。

ですから、人によってはあり得ないと思える事も、その夢の持ち主には

あり得ない事ではないわけです。

 

そのように、例えばUFOを見る人がいて、幽霊を見る人がいて、あるいは

感覚的にP星団がわたしの故郷だと思う人がいて、S星の人とチャネリング

で教えられていると信じる人がいて、・・・云々。

それは全くその人にとって事実であり、その人の現象世界では

否定する根拠も見いだせないでしょう。

 

しかし、他の人にとってはそれは、まったく見えもせず、感覚できず、

信じられない事であり、否定するに足る事だと思えるわけです。

そのようなそれぞれにとっての、それぞれの現象世界を自分の中に

展開しています。

 

しかし、それらはどちらも、現実ではあっても、真実ではありません。

夢なのです。見せられている夢です。

移り変わる世界は夢にすぎません。

真実は変わる事がありません。

 

その変わらない世界が内側の「ここ」から奥に入る事で見出せます。

ハートの「ここ」は、それに導通しています。

慈愛と喜びと満たされた平安の世界です。愛そのものです。

全ての概念も、固定観念も、そこでは溶解してしまい、自分という意識

さえなくなるというより、全部が自分になります。

自分も他の全部も全部であり、全部が自分になります。

まったくのワンネスです。

現実という夢から覚めて、真実に帰るのです。

 

そうであるなら、この現象世界のあらゆる事象も事物も自分であり、

何も分離していなくて、そういう世界を創造していたのだと知れるのです。

見ている世界も、その中にある何物も、自分であると知れるのです。

そうであるなら、この現象世界の全てを愛せます。

この現実世界も愛で統合されたワンネスの世界である事を知れるのです。

 

眠りの夢と、現実の夢のちがうところは、

現実の夢は絶対的に体験しなければならないように

組み立てられているという事。

学ぶべき夢。

それが本性である成長へと誘うのです。