わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

先に行った友達へ 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんからいただいた記事です。読者のコメントも付け加えておきました。

 

先に行った友達へ

 

人を苦しめるものは、現象ではありません。
現象に抵抗しようとする想いです。

人には必ず身体的死が訪れます。
だれもそれから逃れられません。
若い人はどうしても、死を考えるなど、現実的ではありませんが、
若い人でも死ぬのです。

たとえば癌になったとします。
おおきなショックでしょう。
耐えがたい恐怖に襲われ、どうしていいかわからなくなります。

病巣が身体を蝕み、身体的な痛みと共に精神的な苦悩も抱えます。
死がせまってくる恐怖の中で時が過ぎていきます。

そういう時、どうすればいいでしょうか?

起こる事は、起こるはずのものであり、いつかは死を受け入れなければならない事を忘れてはいけません。
それが、いつなのか、一年後なのか、一か月後なのか、考えていたら恐怖を増幅するだけです。

それよりも、今、生きていることを幸せに感じてください。
その事の故に、あらゆる存在に感謝してください。

訪れる死を追い払おうとしても、無理な事はご存じなはずです。
それであるならば、病気と闘い恐怖と闘うよりも、受け入れる事です。
そうならなければならない事柄は、そうなってしまうのですから。
もちろん治療は続けなければなりません。

どのような死の迎え方であっても、人は誰でも寿命で死ぬのです。
病気だろうが、事故だろうが、災害であろうが、戦争だろうが、あるいは悪党に殺されようが、
確実にそれは、その人の寿命なのです。
もっと生きられたはずなのに・・・と人は思うでしょうが、そうではありません。
それはありもしない物差しで測っているのです。憶測にすぎません。

苦しんで戦うより、その死に対する抵抗を明け渡してください。
そうして、病気そのものを受け入れて、共存する事です。
それが、あなたにとってどれだけ有意義な事か計り知れません。

完全に明け渡し、受け入れた瞬間に、あなたはそれら苦痛から解放されます。
もちろん身体的痛みはあって痛いのですが、
それよりも、明け渡し、受け入れる事による精神的解放が免疫力を高めて行くかも知れません。
治療の効果がずっと顕著になって行くかも知れません。
人によっては病巣そのものが消えてしまうような事も起こるかも知れません。

それよりも、明け渡し、起こっている事を受け入れ、起こしているものの意志に任せきることで、
この後何年生きようが、あるいは、明日死を迎えようがそれでいいと、完全に思える事で得られる安らぎが、
穏やかな死を迎えられるのです。

最後は誰でも穏やかに旅立ちたいはずです。
自我を明け渡し、神(源泉の意志)を受け入れる事で、その愛に包まれて旅立てるのです。
そうやって受け入れて旅立つなら、必ず、すばらしい奇跡の世界を見るでしょう。

かつてわたしの友達は、まだ若くして癌になりました。
その事をわたしは残念な事に知らずにいて、ある日仕事の帰りの空一面に金色の鱗雲が広がり、
その隙間から金色の光が家々に、樹木に、山並に、風景全部に照らし出され、まるで浄土のような世界を見ました。
金色のおびただしい雲と、天上から降りてくる沢山の光の帯と、金一色の世界。
あまりの美しさに一時間ほどそれを楽しみ、そして日が落ちました。

家に帰ってから、その友達が今日亡くなったという事を知らされました。
最後に言ってたそうです。

「病気になって、もうみんなと別れなければならないけれど、なにも恨んではいない。
誰も恨んではいない。病気も恨んでいない。みんな良くしてくれたから、とても幸せな人生だった。
ほんとうにみんなに感謝している。大丈夫、安心して行けるから。」

あの黄金の世界は、最後に会えなかったわたしへのお別れに見せてくれたのだと思います。

苦しみの中で死ぬよりも、穏やかに、安らぎのうちに旅立てる事がどんなに幸せな事か。

それだから、病気でなくても、今苦しんでいるなら、自分の一切を明け渡してください。
サレンダー、それだけが気づきに必要な事です。

それから得られる幸せは、計り知れません。
明け渡し、みこころを受け入れる事です。

二十歳で行った友達に・・・神の祝福がありますように。
忘れてはいません。毎日会っています。これからも。

2012-04-11



 

【読者K】明け渡し・・・。

花岡さん、毎日の記事の更新ありがとうございます。 

毎日記事を拝読させていただいているほんのひとときなにかしら救われたような少し肩の力が抜けるような、呼吸が楽になるような気がします。 

ですがブログを離れるとすぐにまたイライラだったり鬱々とした心で生きる普段の自分に戻ってしまいます。 
どうすればいいのでしょうか? 
これはいつか私が明け渡せるようになるまでこのようにして生きていくほかないのでしょうか? 

また、 
「病気でなくても、今苦しんでいるなら、自分の一切を明け渡してください。 
サレンダー、それだけが気づきに必要な事です。 
それから得られる幸せは、計り知れません。 
明け渡し、みこころを受け入れる事です」 
とのことですが、どうすれば明け渡すことができるのでしょう? 
花岡さんのおっしゃられていることは正しいという直感はあるのですが、 
私にはこれといった信仰心もありませんし神とか源泉といったものに明け渡す、みこころをうけいれる、といったことがよくわかりません。 
はっきり言えばどうすればいいのかわからず途方に暮れるばかりでできないのです。 

もちろん花岡さんを否定しているわけではなく、私もできることなら明け渡したい、みこころにゆだねて楽になりたい、 
と思うのですが、どうすればいいのだろうと頭で考えるばかりでどうすればいいのかわからず、 
それがまた苦しいです。 

誠におこがましいお願いで恐縮ですが、 
どうかそのような私になにか参考になるアドバイスや方法、日々を生きる心構えや具体的な工夫などはありませんでしょうか? 

ほんとうに勝手なお願いで恐縮なのですが、 
何かございましたら教えていただけたら誠に幸いに存じます。 

先に行かれた人たちに神様の祝福がありますように。

【読者H】

抵抗は、判断から起るんですね。 
抵抗しているものについて、考えないことですね。
 

【読者T】 寿命

先に逝かれたお友達きっと幸せな人生だったと想いながら死を潔く向かえられたのですね。 

私事で恐縮ですが、主人が亡くなる1週間前に病室の主人を白い光のシャワーが取り巻いててすごく綺麗だったんです。私はその時意味が解らずああまだ頑張って生きていてくれるんだと思ってました。今思うとあれは、もう行くけど自分はこの光に囲まれ幸せに旅立つよって合図だったのかなと勝手に解釈しています。3年もの間意識の回復もありませんでしたが、私にはあの3年が18年間で1番幸せでした。 
もう一度出会えたらまた結婚したいと思っています。 

どんな事も受け入れ、明け渡すと人には不幸に見える状況でも幸せはいつもそこにあります。 
その人の本質と起きてる状況はまったく別物なんですよね。
 

【花岡】いつもありがとう

Hさんのコメントは、いつもながら洞察を誘い出す魅力がありますね。 

Tさんのコメントは、素直な表現で、たぶん皆さん感心しておられると思います。 

Kさん。 
いい感じです。 
苦しみが後押ししてくれるでしょう。 
わたしもそうでした。 
自分が実体験してるから、そのままでいいのがわかります。 
大丈夫ですよ。
 

【読者M】

昔々、テレビで見たのですが、確か司会者が小堺一機で、実話の再現ドラマみたいな番組です。ある外国人女性が重い病気になって(確か癌)、悩んで苦しんで、ある時、美しい浜辺を歩いているときに突然「自分は光だ」と気づき、その一瞬で病気が完治した。という内容だったと思います。うろ覚えなのですが印象深く覚えています。