わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

質問と答え(妻を裏切り、うつ病にさせてしまったPさんの場合) 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんからいただいた前記事、「信じるとはつまり、騙されているという事なのです」には、かなり長いコメント欄でのやりとりも含まれていました。その中から、記事にする価値があると思われるものをピックアップして掲載します。読者の質問は青字にしておきました。ハンドルネームは、イニシャルのみにしてあります。

初めてコメント致します。

私は、身勝手な行動により、妻を裏切り傷つけてしまいうつ病にさせてしまいました。当時私は、エゴの塊であったと、このブログを読んで深くかんじいりました。妻の信頼を取り戻す為に色々と行動しましたが、 妻は、私に対して怒りの感情しかもっていなく、悪循環でした。 
本当に自己嫌悪と情けなさ、怒りを感じていましたがあるブログで親鸞の教えを読み、あるがままを受け入れるようにしています。 
今見えている世界は、自分が作り出した世界。これは、最初分かりずらかったのですが、映画マトリックスの世界かなぁと思います。 
初めて観た時、世界観への問いかけされているかのような感覚を今でも覚えています。
 
長文になり申し訳ありませんが 一つ質問がございます。 
このブログでは、全てを預けると あります。私もそうしたいのですが、何時も考えてしまうのは、妻のこと子供達のことです。 
花岡様は、お母様とご一緒されているようが、家族に対する認識は、どのようなものでしょうか。 
お教え下さい。
 
Pより
 
 
Pさん、はじめまして。 
コメントありがとうございます。 

奥様に対する贖罪の気持ちがよくわかります。 
また、あるがまま受け入れる態度も、それでいいと思います。 
奥様が未だに怒りを解かれないのは、悔しさ悲しさもあるのでしょうが、あなたを見切ったのなら怒りも既にあるはずがありません。 
奥底では信頼しているから、愛をわかっているから、表現が怒りになるのではないでしょうか。 

許してもらえなくてもいいから、逃げ出そうなどと思わずに、献身の愛で大切にして頂きたいと思います。 
それは苦しみだと意味づける事なく、ただ受け入れ、生を共有して欲しく思います。 

あなたは加害者、奥様は被害者、そのように見えるかも知れませんが、お互いの問題が用意されお互いに学び、答えを見出す体験を与えられているのだと思います。 
立場は真逆に見えて、その答えと意味は同じなのです。 
一人では出来ない体験もあるのです。 
ほんとうは、それは素晴らしい意味に辿り着くに違いありません。 
知らなければならない事のために、すべては用意されているのです。 
そうでなければ、現れる必要などないのですから。 
わかります? 

その答えは申し上げる事などできません。 
体験でしかわからない、体験する人にしかわからない、そのような答えですので、わたしに言える事ではありません。 

わたしも、自分の奥さんや、母に対して、そのように理解しております。 
お互いに、お互いの学びを助け合っている、そしてそれは、約束が成就され行く過程であり、今これを体験している事が、これでいいのだと思えるのです。 

エゴに支配されているうちは、わからないかも知れませんが、親鸞の云う他力、これに委ねるならエゴは物語を成就させる召使だったと知ると思います。 
なにも間違ってなどいないのです。 
間違ってなどいないけれど、「だったら何をやってもよかったじゃん」じゃ、学んでないという事はわかりますよね。 

真摯にそれを受け入れ、生きて行ければ、大丈夫、運ばれていきます。 
心配など、いりません。 
 
花岡修平