わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

人生を受け入れてみたら覚醒が起こった:読者の体験談 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎これは、「人生を受け入れてみる」(2019-01-24掲載)のコメント欄にあった読者の体験談で、Hさんからいただいた記事の中にあったものです。読む価値のあるものと考え独立した記事にしてみました。タイトルは私が付けたものです。(既に掲載してあるWさんからいただいた記事の中にはなかったものなので、そちらの方にも付け加えておきました。)

 

 

【読者BB】

私の体験がここを訪れる方の気づきの参考になればと思いまして、ちょっと書かせていただきます。 
私は昨年暮れに気づき(目覚め)が訪れたのですが、その気づきに至る過程で、自分の境遇(人生)を受け入れることと、他の人の存在を受け入れることがが大きなポイントになっていたようです。 
気づきの半年から1年くらい前に、私は、自分の境遇を受け入れる心境になりました。それまでは、目の前にある困難が辛くて辛くて押しつぶされそうなっていました。詳細は書きませんが、家内とは、そのときがきたら二人の息子を連れて人生を終わりにしようと相談していました。でも、そんなどん底の苦しみの中、私の心は、自分の境遇を受け入れる気持ち変わっていきました。そして、不思議なことに、こんな苦しい人生だけれど、この人生を選択して生まれてきたのは自分自身であるような感覚が生まれてきたのです。さらには、この困難は自分の「課題」であり、一つ残さずすべてについて逃げずに取り組みたいと思うようになっていきました。 
この辺りから、不思議なことに、私の周りの状況が少しずつ好転していきました。例えば、思いがけない幸運や、誰かの有り難い支援を戴いたりということが起こり始めました。 

 

そして、昨年暮れに、インターネットでブログを書いていたときに、ブログのお友達から不自然にぶっきらぼうなコメントを戴いて、私がイラっとすることがあったのです。でも、そのお友達は普段は優しい方なのに、どうして今日はこんな書き方をするのか変だなぁと思い、そのお友達のコメントがなぜか気になるのです。取りあえずは、当たり障りのない返事コメントを返して、他のことをやっていたのですが、なぜか気になるのです。そのうち、そのコメントに何か「意味」があるのではないか、あるいは、何かを私に教えようとしてくれているのではないかとか、そんな感じがしてきました。 
そう思っていると、ハッと気が付いたのです。自分に対するどんな人のどんな働きかけも、すべて意味があって、すべて大切なのだということが分かったのです。 
それと同時に、私の内面で「気づき」(目覚め)が起きました。 
ただし、このときは、自分に訪れたものが何なのかまだよく分かっていませんでした。私は、「気づき」や、宗教、スピリチュアルの方面についての知識が乏しく、自分に起こったことが何なのか判別できませんでした。 
「気づき」が起こったときは、何かと途方もなく大きな存在と繋がっているような感じがして、ただただ有り難く、ただただ泣いておりました。 



なお、ここに書かせて頂いたのは私の場合の一例に過ぎません。 
「気づき」に至るルートも、「気づき」が訪れた瞬間の体験も、そして、「気づき」後の生活や人生も、人それぞれのようです。 
また、私は「気づき」は特別なものであるとは思っておりません。遅かれ早かれすべての人に平等に訪れるもので、長い魂の歴史の中のほんの一瞬の通過点にすぎません。 
そして、特に申し上げたいのは、道端の石ころも、草木も、あなたも、わたしも、目覚めた人も、目覚めてない人も、そして、神様も(笑)、みな平等でみな尊いのだと思っています。そして、「すべてはひとつ」なのです。「あなた」は「わたし」なのです(笑)。 

花岡さん、すみません。m(_ _)m 
つい調子に乗ってあれこれ書いてしまいました。 
でもお伝えしたいことを書けて、私自身は有り難い気持ちで一杯です。 
こうしてここにコメントを書かせていただけることに、感謝の気持ちをお送りします。

 

 

【花岡】

BBさん。 

その境遇を苦しみとして位置づけていたエゴを手放した時、受け入れる立場に変わったのですね。 
明け渡すという事は、すなわち受け入れるという事です。 
その時やっと真実が見えてくる。 

また、受け入れるという事は、「許す」という事でもあります。 
過去の出来事も、それによって負った傷も、遺恨も、また、石が石である事も、彼が彼である事も、全て許すという事です。 
そうであるなら、全部がひとつであるという事が、わからないはずがありませんよね。 

よかったですね。 
心から祝福申し上げます。 

そして、すばらしい体験談をシェアして頂き、読まれる方に代わって(っていうか代表して)御礼申し上げます。 
皆様には、勇気と希望が与えられたと感じております。