わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

不思議に思わない? 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。

 

不思議に思わない?

 

不思議に思わない?

この世界はどうしてあるんだろう?
宇宙はなぜあるんだろう?

子供の頃、だれもが不思議に思ったにちがいない。
純粋だったからねえ。

おとなになると、こんな事、ぜったい考えないよね。
もしも、友人や知り合いに、こんな質問したら、
「どんだけ子供なんやねん」って言われてしまうよね。

ところが、
そのような純粋さが、天真爛漫なハートが、
どうしても必要なんです。
有るものを、有るがままに受け入れるために。

自我が成長する毎に、真実の記憶は薄れて、
自我そのものに、乗っ取られてしまう。
だって現実世界は、体験による学びの世界。
前世や、真実の世界の記憶が残っていたら、ズル!
アンチョコだよ。カンニングだよ。

自我が現れる前は、ただ見ていた。
見えるものが、これはなに?これは安全?これはなにに使う?
そんな事考えずに、ただ見ていた。

だってそれが何であるか知らなかったし、
言葉も持たなかったから、論理的な思考もなかったし、
見ている自分っていう感覚もなかったし、
ただ見えているものを見ていた。

身体の基本本能がふたつだけ、
食べられる?が、触れるものを片っ端から舌で確かめて、
快適?不快?が、笑う事と、泣く事での表現として反応していた。

でも内側には、絶対的な宿主がいて、
自らの意識の一部を自我意識(表面意識)として構築していったんだね。

それは自分の世界を、自分の宇宙を映し出すスクリーン。
物語は、もう選んで持って来ている。
映写機は、神。
映写機から発する光(マーヤ=幻想)によって、鮮やかに世界が映し出された。
自我が自分という概念を作り出す。

さあ、自分の物語のスタートだ。
しっかり主人公を演じよう。
学びの物語、体験の物語。
しっかりと悩むぞ。
苦しみを楽しむぞ。

二元の世界、相対の世界は、ここでしか味わえない。
悟りは、ここでしか、気づけない。

だって、唯一の世界、真実の世界、神の世界では、こんなの無いから

 

2012-03-03