わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】過去世について

人はその本性を悟り完成に至るなら、自らの過去世を思い出す。

と言うようなニュアンスで仏典に記されています。

仏陀を慕い、集まった弟子たちが彼の指導により人を遠ざけて独り山中で修行(?)する三ヶ月、あるいは三年、(仏典においては三という数は特別のように頻繁に出てくる)やっと明知を得たその時、多くの自らの過去世を思い出した・・・とあります。

また、仏陀自らにおける数えきれないほどの輪廻についても記されています。

人に輪廻があり、この生だけでなく、この生が始まる前の過去世があるとしたら、なぜそれを忘れてしまい思い出せないのでしょうか。

それぞれの過去世は、それぞれの物語。
その物語の中で、体験すべきは既に決まっています。
それだから、他の人の物語と激突する事無く、見事に整合されています。

その物語は、どうしたって必要な体験なのです。
笑いも涙も、苦しみも喜びも、あれやこれやを体験して、我々は徐々に完成に近づき、ようやくようやく、本当の事を知るのです。

過去世は誰も思い出せないけれど、その体験は、今、誰の内にも蓄積されていて、言い換えれば過去の全てが今の自分です。

それは、確実に内側に存在します。

しかし、それを外側に出したなら、物語は崩壊してしまいます。
それぞれが、それぞれの役目を担いながら、自らも他の人にとっても重要な影響力をもっているからです。

つまり、誰もが物語の主人公であり、他にとっては共演者の立場だからです。

それは、過去世がわかっていないから成り立つ物語です。

わかっていないから、傷つけ傷つけられ、励まし励まされ、助け助けられ、尊い物語を体験できるのです。

もしも。

過去世がわかっているなら、それはうまく世渡りをこなしていく便利なツールになる事でしょう。
絶対的に過去の過ちを繰り返す事はないでしょう。

それは、カンニングです。
ズルです。

過去世の体験が、しっかりと内側の血肉になっていないなら、再びそれらは体験されなければなりません。
その体験は、体験していながら役に立っていなかったからです。

そういう事があるから、多くの輪廻を巡る事になります。
体験が内側の血肉になれなかった事は、失敗ではありません。
よくよく体験しなければならないから、そうなるだけです。

過去世の記憶は、まったくそれの邪魔になります。
ついに彼は、永久に完成に至る事はないでしょう。

過去世の記憶は、そうだからやっと悟りに入った時に、思い出すものなのです。

また、過去世の記憶を思い出す事が重要か?といえば。
まったくそんな事はありません。
それは既に内側にあります。
そんなものを思い出す必要がどこにあるでしょうか?

過去世を思い出す事を、悟りのひとつの目安と考える人がいます。
しかし、それはまったく的を外しています。
彼は過去世にこだわり、執着し、今生で明け渡す事が難しい人と言えます。

過去は誰にとっても多くの辛い悲しい悔しい忌まわしい記憶でいっぱいです。
そんなものを思い出して何になると言うのでしょうか。

また、悟ったからといって、そのようなものはもはやどうでもいい事です。
思い出す必要などありません。

体験で得た尊い悟りは、既に今に活かされています。

人々の過去世に対する思いや憧れを刺激して、よからぬ企てをする教祖様がいるかも知れません。
「わたしの過去世はナンチャラ尊者だ」とか、「ナンチャラ神の化身だ」とか。
あろうことか「仏陀の生まれ変わりだ」と言ってのける方もいらっしゃるようです。

真実仏陀の生まれ変わりが、この世に生まれたとして、彼はそのような事は口が裂けても言うはずはありません。
尊いお方は、そのような聖なる名を利用して信者を集めたり絶対しません。

そもそも、信者を集める事すらしません。

信者を集めたいのは、真理の法の流布のためではなく、金庫の隙間を埋めるためかも知れません。
聖者は信者を募ったりしません。
ただ、縁により、弟子たちが集まるだけです。

水の分子が引き寄せ合い、流れる水となるように。
鉄の分子が引き寄せ合い、鉄鉱石が現れるように。
それらは集まる仕組みとして組み立てられています。

悟りについて、あれこれ妄想を抱くより、ただ純粋に憧れている事が必要です。
過去世も、あなたの頭の中に展開される宇宙のどこかの星とのチャネリングも、どうでもいい事です。

ただ内なる真我を疑わないでください。
それは神であって、そして、あなたそのものであって、あなたとそれしかなく、しかもそれはひとつです。

そのひとつから、あなたのような宇宙が、数として数えられないくらい無数に存在しているのです。

それは広大無辺でありながら、大きさと言うものがありません。

そこから考えたら、過去世なんて、ちっぽけ過ぎるのですよ。

あなたは、ほんとうに全てあなたなのです。

 

 

2012-11-04

 

 

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