わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】不思議に思わない?

不思議に思わない?

この世界はどうしてあるんだろう?
宇宙はなぜあるんだろう?

子供の頃、だれもが不思議に思ったにちがいない。
純粋だったからねえ。

おとなになると、こんな事、ぜったい考えないよね。
もしも、友人や知り合いに、こんな質問したら、
「どんだけ子供なんやねん」って言われてしまうよね。

ところが、
そのような純粋さが、天真爛漫なハートが、
どうしても必要なんです。
有るものを、有るがままに受け入れるために。

自我が成長する毎に、真実の記憶は薄れて、
自我そのものに、乗っ取られてしまう。
だって現実世界は、体験による学びの世界。
前世や、真実の世界の記憶が残っていたら、ズル!
アンチョコだよ。カンニングだよ。

自我が現れる前は、ただ見ていた。
見えるものが、これはなに?これは安全?これはなにに使う?
そんな事考えずに、ただ見ていた。

だってそれが何であるか知らなかったし、
言葉も持たなかったから、論理的な思考もなかったし、
見ている自分っていう感覚もなかったし、
ただ見えているものを見ていた。

身体の基本本能がふたつだけ、
食べられる?が、触れるものを片っ端から舌で確かめて、
快適?不快?が、笑う事と、泣く事での表現として反応していた。

でも内側には、絶対的な宿主がいて、
自らの意識の一部を自我意識(表面意識)として構築していったんだね。

それは自分の世界を、自分の宇宙を映し出すスクリーン。
物語は、もう選んで持って来ている。
映写機は、神。
映写機から発する光(マーヤ=幻想)によって、鮮やかに世界が映し出された。
自我が自分という概念を作り出す。

さあ、自分の物語のスタートだ。
しっかり主人公を演じよう。
学びの物語、体験の物語。
しっかりと悩むぞ。
苦しみを楽しむぞ。

二元の世界、相対の世界は、ここでしか味わえない。
悟りは、ここでしか、気づけない。

だって、唯一の世界、真実の世界、神の世界では、こんなの無いから。

 

 

2012-03-03

 

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