わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】エピソード(4)で、あえて言わなかった事

真我に気づいてもなお、起こることは起こり、
それはいつでも、学びでいっぱいだ。

常に、新しい気づきに導かれていく。

かつて読んだスッタニパータや、パリニッバーナ・スッタンタ、
プンダリーカ・スートラ、あるいはヴァガバット・ギータ、
ヴェーダやウパニッシャドゥ、
なぜか惹かれて読んではみたものの、超イミフ~~~ (意味不明ってこと)

でも真我に気づいてから、あらためて読んでみると、
すっげぇ~!よくわかる!

金剛般若経っていうのがある。
これは、とても難解で、まるでパズルのようだと思っていた。
こんなものは誰が読んでもわかるわけないよなぁ・・・って思っていた。
言葉だけ読んでいては、まったくわからない。
文章を読んでいては、まったくわからない。

それが、今、よくわかる。
しかも、「うんうん、そうだそうだ、そのとおりだ」って、共感しきり。
思考で考えず、内なる感覚で読む。
なんと宝石のような言葉が並んでいるではないか。

そして、聖書。

あれもこれもで、節操の無いヤツだと思われるかも知れない。
でも、なんであれ、真理真実がそこにあれば、それは尊い
そうでないはずがない。

聖書の中には、ものすごい真理が溢れるばかりに書かれている。
でも、教会関係者から聞く解釈は、なんか違うような・・・みたいな。
で、その事を言うと、あなたは本当は聖書を読んだことなんてないでしょう。
って怒られる。
ま、いいんだけど。
ある団体の方、三か月おきに二人連れで訪問されると困ります。やめてね。

過去記事の、エピソード(4)目覚め、の中で経済支援者のことについて、
チョットだけ書いておいた。

これは、ぜったい多くの人が誤解するだろうって思っていた。
でも、あえてそのままにしておいた。
たいていの人が期待したとおりの、誤解をしてくれたようだ。

ええ?明け渡しっていいながら、金かよぉ・・・。
物質、金銭的な願望があっても悟り? こいつ偽物だね。

ああ、やっぱりねえ・・・って思った。

あえて言わなかったのは、わかるひとは絶対わかるって自信があったから。
準備ができている人には、絶対違和感無くわかるって思ったから。
ここで、各々の準備のステージがわかると思ってたから。

自分に関わる一切を、神に明け渡した。
その時点でもう、なにも願望も執着も無い。

お金? いりません!
命? いりません!
そのような人が、どうして願望など持てようか。

聖書の中の言葉は、真実で語られている部分が多い。

「持たない者は持つようになるであろう」

そう、神がこの愛と、その流れを与えてくれたのです。
本当にいらなかったのに、
与えてくれたんです。
そのように運んでくれたんです。

神のみこころのままに、おまかせしよう。
もしも神がみこころによって与えてくれるなら、なんであれ、それだけを頂こう。
それが、たとえ、更に厳しい苦痛であっても、ただただ受け入れよう。
そういう完全な明け渡しの結果、そうなっただけなんです。

だから、明け渡しに不安や恐怖を感じている人がいたら、
安心してください。
なにも心配いりません。

もしも、その気になったら、
明け渡してください。
なにも財産捨てろって言う事じゃないのですから。
執着、貪り、虚栄(プライド)を、まず明け渡してください。
それだけでも、なんと楽になれることか。
なんと、軽くなれることか。

神は、絶対的に信頼するなら、
必ず救い上げてくれます。
絶対、大丈夫なんです。



  2012-03-12 

 

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