わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

目覚めそうになったら、とにかく味わってください 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんからいただいた記事です。コメント欄もある記事でしたので、関連するコメントを青字で最後に付加しました。コメント欄の名前はイニシャルのみにしました。

 

目覚めそうになったら、とにかく味わってください

 

瞑想で内なる静寂に気づけたなら、

瞑想時でも、日常においても、深い洞察に入れるようにするのがいいと思います。

 

洞察によって今、頑固に掴んでいる常識や当たり前が、真実正しいのかどうか。

それは思い込みによるものではないか、

執着によるものではないのか、

自分で体験から理解したものではなく、成長過程で周りから刷り込まれたものではないのかどうか。

 

日常の言葉でさえ、我々は理解していなかったことに気づきます。

辻褄が合う、という着物の辻と褄がピッタリそろって上手に仕立てられたと言うことなど、知らずに使っています。

 

ただの記号として使いながら、理解していると錯覚しているのです。

 

瞑想と洞察によって、本当に真実なのかを探ってみてください。

そうする事によって、今までの価値観が思い込みだった事に気づいていきます。

思い込みの価値観で執着していた事に気づいていきます。

 

日常をそのように観察する事で、自我意識にも波動上昇が起こります。

起こる事が、過去の原因によって起こっているのではなく、

起こすように運ばれていて、運ぶ源泉があるのだと気づいていきます。

どのような生き物たちも、それぞれハートを持って生かされ、活動しているのだと気づきます。

あらゆる生物が地球環境の保全に役立っている、連鎖の中にあると気づきます。

 

植物も、猛獣も、虫も、アミーバや、病原菌さえ食物連鎖によって、

地球の酸素供給や生物の適正数や、環境保全に役立っていることに気づきます。

人間だけが利己的な勝手な考えで、それを破壊している事に気づきます。

 

そうであるなら、どのような生き物たちをも、慈しむ気持ちになっていくはずです。

 

そうすると、

 

100人に一人ぐらいは、(たぶん)

 

この胸の、「ここ」に、「これ」が、なんとなく現れることに気づくはずです。

 

「これ」は、なんとなくあったかくて、感覚としての存在で、

最初は喜びのような、しあわせのような、なんとも表現しがたいものですが、

そう、みなさんが初恋の時にきっと感じた、胸キュンの感覚にも似ていますが、

それより、もっと周波数の高いものです。

 

それが、現れた事のある人って、けっこういるはずです。

絶対、いると思うんです。

 

でも、たぶん三日か、長くても一週間で消えてしまって、その後何年、何十年と経過してしまったでしょう。

 

そこがハートの窓です。

開かずに終わったのです。

 

もしも、再び、その素敵な「うずき」が現れたら、

 

徹底的に味わってください。

 

それは、味わいです。

最後まで、それが収まるまで、味わい続けてください。

一回のサイクルが終わっても、またすぐ現れます。

 

現れる毎に、しっかりと味わってください。

最後まで、味わってください。

 

だれか人がいて邪魔するようなら、逃げてでも一人になって味わい続けてください。

 

次第に、「これ」は幸せで満ちてきます。

理由のない、条件のいらない、真実の愛が溢れてきます。

どのような事も許せる、愛の波動を感じていきます。

 

それは味わう事によって、どんどん強くなっていきます。

そう、味わうというのは、受け入れるっていうことです。

とてもとても、甘い味わいです。

涙が出るでしょう。

喜びに満たされるでしょう。

 

三日経って、一週間経って、

再び、消え去るかも知れません。

でも、大丈夫。

 

そこに、あなたの集中力をフォーカスして、ありったけの愛を注いでください。

既に、あなたは最初の「現れ」で無条件の愛を味わっています。

その愛を注いてください。

 

そうすると、ほら!

 

再び、呼応してくるでしょう。

 

そうやって何度も何度も、至福を味わってください。

 

マインドは、自我に引き戻そうと、やっきになるかも知れません。

でも、マインドをほっといてください。

気にしないで、味わい続けてください。

 

開き始めたのです。

ハートのチャクラが。

アナハタが。

 

源泉はその向こうに、ひろがって・・・じゃなく、全部がそれです。

存在全てがそれである事に気づきます。

 

それでやっと、この現象世界に神の臨在がある事に気づけます。

 

すばらしい世界です。

今まで、なぜ気づかなかったのでしょう。

いつでもその中にいたのに。

 

そうなったら、もう明け渡せるでしょう?

そんな素敵なものに明け渡すんだから、できちゃうでしょう?

 

夜・・・「これ」の呼応が強すぎて、眠れない日があるかも知れません。

味わってください。

これが甘露の味です。

 

 

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このブログは個人的なブログですが、

このブログを読んで下さる皆様には、心から感謝申し上げます。

これは創作でもなく、どっかの星の人からのチャネリングでもなく、

自らの内側から知らされている事を記しています。

誰にもそれは起こる事を、わたしは知っています。

かつて、知られる事のなかった多くの聖人がいた事も疑いません。

あなたにも起こります。

もしもあなたに起こったら、

身近な人、お友達にも伝達してください。(相手を観てからね)

どうか、気づきの連鎖が広がりますように。

それから、コメントを頂いた方に・・・どうもありがとう。

とても励みになります。

これからも、よろしくお願い致します。(花岡)

2012-03-30

 

 

[読者H]

全く、その通りです。 

「それ」は、ほろ酔い気分ですね。 

私は、寝起きの時「それ」に気づきました。 

以来、常に「それ」は、在ります。

 

[読者T] ほっこり

花岡さん。お返事ありがとうございました。 

 

私は微弱なのですが、それを味わっているみたいです…ただここでもまたエゴがこれは違う、もっと強い壮大なものだ!と邪魔するのでいつも違うんだなぁって思うのです(笑) 

でも今度味わったら味わいつくします。 

ほっこりとしたそれに思いを馳せてみますね。 

 

人が亡くなるのにも沢山の気付きと学びとそんな中にも愛や絆を強く感じる出来事も負けないくらいありますよね。 

 

[花岡] Re: (Hさん)

Hさんも在りましたか! 

それはすばらしい。 

そうですね。酔いますよね。

      

[花岡] Re: ほっこり

Tさんも在りましたか。 

そう、次からはぜ最後まで味わってください。 

それは幸せの味がしますよね。 

 

> 人が亡くなるのにも沢山の気付きと学びとそんな中にも愛や絆を強く感じる出来事も負けないくらいありますよね。 

 

まったくそのとおりだと思います。