わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

神という名前のものはない 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。

 

神という名前のものはない

 

神と言えば違和感をおぼえる人が多い。

神? ああ、ダメダコリャ ・・・ みたいになる。

そうなんだよね。
神は概念であって、いつのまにか自分の意識に刷り込まれた意味不明な虚妄だから。
それぞれが、それぞれの神の捉え方があって、否定したり肯定したりしている。

だからこそ、神を信じることをせずに、わかることだけが大切なんだよ。
信じたら、どれもが間違っている可能性があるからね。
ただ、わかるだけでいいし、わかったら信じる必要も、もはや無い。

わたしも本当は、神という言い方をしたくはない。
だけど適当な言葉が見つからないんだよ。
言葉など適用できない世界の事だから。

だから本当はなんて呼ばれようがいい。
とりあえず、そういう仮の言い方をしているだけなんだ。

神でもいいし、アマテラスでもいいし、アミターバ(阿弥陀如来)でもいいし、
プルシャでもいいし、アーラーでもいいし、ヤハウェでもいいさ。
それに名前なんて付けられないし、
付けた瞬間、それは実体を失う。(マインドに引き戻される)

仮だよ。 とりあえず言ってるだけだよ。

でもやっぱり、
現れているものを認識し、それを認識する自己を感覚するなら、
そこには、根本のルーツがある。
その源泉が在るんだよ。

そうでしょ?

どうであろうと、主体(自分)と客体(世界)の二元世界は、自分の意識に現れた幻なんだよ。

世界に自分がいるのではない。
自分の意識に世界が現れている。

70億の人々が、それぞれに宇宙を作っている。
70億個分の宇宙が存在している。
それが、お互いの意識の交差によって、関係する部分がシンクロして共有感が生まれる。
だから皆、おなじ世界に存在すると思っている。

真実は、どれもこれも真逆だ。

誰であっても自分が物語の主演であって、他は縁によって繋がる共演者であり、学びの協力者だ。
そして、誰の源泉も、ここ!
唯一の実体である、この源泉でひとつだ。
みんなそこで、ひとつ。
この1以外に、何も無い。

ただ、幻想の力は存在し、それは源泉の属性であって、とてもミラクルだ。
誰ひとりとして激突することなく、みごとに筋書が書かれている。
何ひとつぶつかり合うことなく、緻密に計算尽くされた美しい法則が、
ミクロからマクロまで貫いて宇宙という現象世界を創っている。

なにアホな事ゆうてんねん・・って皆思うかもしれない。
それでもいい、
こんなこと、わからんかてええねん。

今生きているこの体験を生きていれば、
それだけで、なにも間違っていない。
なにも心配いらない。
最初から決まっている事だから、間違っていない。

起こることが起こっているだけだ。
起こるはずのない事は、起こりようがない。


2012-03-05