わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】初恋!・・・片想いから両想いへ

目覚める前はきっと、神など居るものか!って、みんな思っている。
でも、時には、ふっと。
何気なく期待してみたりする。

それを現実が、あっさりと彼方に吹き飛ばしてしまうんです。

現実ってやつは、どうしても神から遠ざけようと躍起になる。
そんなに簡単に神をわかってしまったら、わかった時の喜びなんてチッポケなものになってしまうからだろうか。

きっと幼い日は、今よりもっと神に憧れていたに違いない。
拠り所とする何も持たなかったから。

まあそれでも、母親や父親や、だれか味方になってくれる存在があったなら、拠り所にできたし、さほど神に憧れる事は無かったかも知れない。

そのような子は、きっと神は恐れの対象としての捉え方の方が大きかったかも知れない。

しかし、そのような庇護に恵まれない子がいる。
そのような子はきっと、毎日神を想っていたのでしょう。
神という言葉を知らずとも、何かしらの支えを、きっと想って待ち望んでいたのでしょう。

自我が発達し、いろいろな事を知って行くと、知った事を基にしてどんどん世界を大きくしていく。
人の成長は、見えている世界を成長拡大させていきます。

人との関係も複雑化して行って、感情のエネルギーも強力で執拗なものになって行く。
そうやって、欲しい、得たい、失いたくない、認められたい、褒められたい、尊敬されたい、支配したい、そんなものでいっぱいになってしまう。

そんな・・・つまらないもので。

知識と欲望と虚栄で、もはや神を憧れる隙間さえ無くなってしまう。

そんな事になる前の。
まだ、純粋な日に。
きっと誰もが初恋をしたのだと思う。

片想いの、あの切ない想い。
胸を絞られるような、それでいて喜びがそこに有って、ため息をついていた日々。

思い出せるかな?

思い出してみて!

きっとあの日々は、純粋だったに違いないのです。

神への想いの最初は、そのようなものに似ている。

そのように神を想い慕いなさい。
片想いから始めなさい。

恋の日々と同じように、胸に切ない喜びを湧かせなさい。

初恋の片想いは、分離した幻に恋していた。
でも、神への片想いは、あなたを現している唯一の実体への想いだから。

本当のあなたそのものへの想いだから。
だから、通じないはずはない。

その愛以上に強い愛など、あるはずがないのです。

だから憧れ、想い、慕うのです。
片想いでも、いいから、本気の片想いで、本気で憧れ、本気で慕うのです。

遠い日に感覚した、あの胸の、絞り出すような心地よい痛みと喜びが蘇るでしょう。

神に恋焦がれるのです。
それだけが真実の愛を与えてくれます。
あの日々の純粋な自分に帰って、神を想い慕うのです。

そうすれば、あなたは間違っていた事に気づくでしょう。

片想いをしていたのは。

ほんとうは。

神のほう。

あなたを愛し、大切に守り、安かれ、健やかなれと、いつだって片想いしていたのだと、知るでしょう。

あなたが気づかなかっただけ。
あなたが気づきさえすれば、それだけで。

もうそれは両想い。

あなたが神を純粋に憧れ、慕うなら、もう離れられない仲になるのです。
溶け込むのです。
受け入れるのです。
自分を捧げるのです。

神はそれを待っていたのです。

つまらないものに執着して、つまらない事ばっかりやって来たあなたを見守りながら。
あなたを信じ切って、許しきって、片想いして来たのです。

それがわかったら、もう両想いです。

真実の愛を交換し合い、愛の中に溶け込むのです。

喜びに満たされ、不安も恐怖も心配すべき事も、もうありません。
拠り所、そのものの中に入ったのです。

そのような喜びを、ぜひ知って、味わってください。

ああ・・・今日も書こうと思った事と違う事を書いてしまった・・・

 

 

2012-06-24

 

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