わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【メモ帳】花岡修平とフーマン・エマミ(Houman Emami)の「明け渡し」の類似性について

先日、「明け渡し」についてもっと調べてみようと思い、「明け渡し」というキーワードに他のキーワードをプラスしていろいろと検索してみました。

「明け渡し」+「ハート」というキーワードで調べていたとき、気になるページに行き当たり、クリックしてちょっと読んでみたところ、

 

驚きました。

 

次のように書かれていたのです:

まず静かに坐り、内側に入りなさい。

ハートを通して、存在の深みを通して、神に明け渡しなさい。

あなたの内側のリアリティを通して、あなたの存在を神に明け渡す。

神の存在は、あなたの内側にある。

それに明け渡し、それに溶け去り死んで行く。

それがあなたの修業だ。

いつでもハートの祈りから始めなさい。

ハートから、あなたの内側にある神聖なるものへ祈りなさい。

「どうか私をあなたへ明け渡し、死なせて下さい。」

「どうか、あなたの中へ溶けさせて下さい。」

そうする事で、あなたは祝福を感じるだろう。

「意志」を使って、それをしてはいけない。

やさしく、ハートフルに、透明な在り方で、明け渡す。

信頼しなさい。

内側、ハート、その奥にいる神=真我、それへの明け渡し。

これら一連のキーワードとそれらの関係性=配置まで花岡さんと同じです。

 

違っている点は、「祈る」という心的行為が重要なファクターとして導入されていること。

 

 

 

 

 

それは、フーマン・エマミ(Houman Emami)の言葉でした。

 

 

 

 

 

以下が、そのページのリンクです。

www.leela.jp

 

 

今、この人についていろいろ調べているのですが、不思議な人です。

私は初めて知ったのですが、日本のスピリチュアル世界では、知る人ぞ知るという感じの人のようですね。

天野清貴さんが書かれた本の著者紹介欄には、次のように書かれています:

 エマミ,フーマン
1964年、イラン生まれ。米国の大学を卒業し、エンジニアとしてボーイング社に勤務。子供の頃から聖なる次元への回帰願望が強く、27才のある日、ごく自然な形で光明を得る。最初はシアトルで魂を覚醒へと導く教師として教え、後にハワイ島へ移住。2005年7月に他界する。

 まあ、天野さんの書かれた一連のフーマンとの個人セッションシリーズ本を読めば、もっと詳しくわかるのでしょうが。。。

 

ネットで調べていて不思議なのは、この人に関する情報が非常に少ないこと。

Wikipedia にさえこの人の項目がありません。

英語で調べてもめぼしい情報があまりなく、日本語の情報の方が多いようです。おそらく日本でセッションすることが多かったためでしょう。

 

英語情報では、ひとつだけ非常に興味深い個人ブログを見つけました。フーマンが住んでいたハワイの女性が書いたブログ記事です。

フーマンは40歳で亡くなっていますが、死因は溺死です。

ハワイのある海岸で泳いでいて溺れて亡くなったのです。

その記事を書いた女性はフーマンの知り合いだったのでしょう、彼の死後、フーマンが住んでいた住居に移り住み、彼のエネルギー体と出会い、彼が溺死したときの彼の目を通して見られたれた光景とその時の彼の感情を体験させられます。

 

フーマンは事故ではなく、自らの意志で肉体を去ったと彼女は言います。

海中で肉体を去る時、彼は幸福感に満ちていたと。

肉体での生を彼はハッピーに感じていなかった。だから、肉体を去ったと。

 

また、生前の彼については、背が高く、ハンサムで、癲癇(てんかん)持ちだったと述べています。

 

天野さん以外の日本人の関係者も、彼の死後、彼のエネルギー体によってアドバイスをもらっているようです。

 

異様な超常的能力を有し、別次元の存在たちが見え、彼らと交信し、人のすべてを前世に至るまで透視し、ハートがフルにオープンしていて圧倒的で濃厚な「愛」を放出していたらしいフーマン・エマミ。

 

 

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日本人フォロワーたちによって追悼されるフーマンの写真

 

 

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フーマンが溺死したビーチ

 

 

 

花岡さんの「明け渡し」による覚醒は、フーマンが他界した数年後に生じています。

記事「あの日の夜」には、何体もの別次元の存在たちが関与していることが伺える記述が見られます:

あたりは真っ暗で、静まり返り、夜とわたしだけがそこにありました。

その時、周囲の雰囲気に異変を感じました。
周りの波動が明らかに変わり、そして背後から近づく幾つかの存在を感じたのです。

地面から浮かび、スーッと近づく、何か精霊のようなものを背中が捉えていました。
十体か、二十体、いや、それ以上の存在が近づき、一瞬わたしに「恐怖」という言葉が浮かびましたが、すぐに「あらゆるものを捨てた今、恐怖を掴んでいるはずが無い」と、冷静でいられました。

そして近づいて、彼らは言ったのです。
「大丈夫だ。何も心配はいらない。我々はそのように運ぶ。あなたを見捨てたりはしない」

それは言葉として頭脳が翻訳はしたものの、言葉とは全く違う、感覚の伝搬によって自分の内側が理解したのです。
ただ言語化する習慣が、言葉に翻訳したのです。

shikoutoshi.hatenablog.jp

 

これらの存在たちは、いったい何だったのでしょう?

 

 

あまりに似ているフーマンの「明け渡し」についての言葉と花岡さんの言葉。

もしかしたら、彼らは見えない「霊統」でつながっていたのかもしれません。

 

 

 

(ブログ管理人より)