わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

気づきは広がっている 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Wさんから頂いた記事です。

*Hさんからいただいた同記事のコメント欄でのやりとりを付け加えておきました。(2019-05-01記)

気づきは広がっている

 

非公開でコメントをくださる方も多くいらっしゃいます。
そういう方の中にはメールアドレスを添付してくださる場合もございます。

しかし、たいへん心苦しくはありますが、こちらからメールに返信する事はありません。
ほんとうは親しくメールでやりとりしたいのですが、こちらに諸般の事情がございまして出来る状態ではないのです。
どうぞご理解とご容赦お願い致します。

もしも教える立場、つまりマスターとして生まれ来た人であれば、わたしのような状況に暮らしてはいないのでしょう。
わたしは教える立場でも師の立場でもございません。
また、そのような事をしなくても、人は誰であれ、内側から導かれるようになっているのです。

ただ、気づいた事を公開する事で、気づきに至る過程にいらっしゃる方のヒントになればという思いはあります。

そのような非公開のコメントを頂いた中に、家庭、家族の問題から一家心中さえ考えていたところ、困窮状況が改善し始めてから気づきが起こったというメッセージを頂きました。
おそらく、我々の状況があまりにも似ていたためにコメントを書かずにはいられなくなったのでしょう。

最悪の選択をしないで済んで、ほんとうによかったと思います。
我が事のように、喜ばしく思います。

そのような方が他にもいらっしゃると思います。
可能な限り、公開コメントにてシェアして頂けたらと思います

エックハルトも含めて、我々の気づきへの導かれ方はとても酷似しています。

この今の状況を受け入れ、流れに委ね、「わたしのエゴ」を手放したその瞬間に、全てをを創造し現す根源が導いてくれます。
必要なものは与えられ、助けてくれるのです。

エゴを手放すから根源に通じる通路が開きます。
知らず知らずのうちに、状況が良い方向へ流れて行きます。
状況が変わるから、大いなる力、その存在を確信しないわけには行きません。
その時、意識が根源とコンタクトするから「気づき」が起こります。

エゴが塞いでいたのです。

エゴが作り出す想念、思考、妄想、誤解、誤った価値観、誤った常識、様々な欲、過剰な本能、そのような中に自己を置いているから真実が判らなかったのです。

気づきが起こり始めた皆さんは、それを大事にして頂きたいと思います。
世俗に暮らしていれば、忘れがちになる事もあるかも知れません。
しかし我々は、いつも思い起こさなければいけません。
二度とあの世俗の欲の奴隷になってはいけません。

我々を導いておられるあの絶対者に、どのような時でも感謝を忘れてはいけないのです。

そうしているなら、気づきは更に気づきを呼びます。

同時に、このハートから、言葉に現せないほどの至福が湧き起ります。

そうして、真実の愛に目覚めるのです。

エックハルトは、その至福、愛の故に、いつも自分の口が笑っていると言います。
わたしもそうです。
どうしても、幸せだから口が笑っているのです。

深刻な相談者がそれを見て、怒って帰ってしまったというくだりは、ほんとうによくわかります。

ひと事ではなく、あなたも、あなたも、そしてあなたも、そうなります。
いつかはそのような局面を迎えるのです。

人により、いつ来るかは同じではありません。

ただ、エゴを見つめる姿勢に、今自分を置こうとするなら、それは早まるのです。
それも、エゴに気づき始めるなら、加速して行くのです。

エゴに気づき、手放すから真我に気づいて行きます。

社会のつまはじき者と呼ばれる人のほうが、エゴに気づきやすいのです。
強いエゴは、どうしても、自分でも見えてくるものです。

逆に、体制にしっかり居座って、保守して生きているお行儀のよい、社会的地位を持っている人は気づきにくいかも知れません。

親鸞は言いました。

「善人でさえ気づけるのだ。ならば悪人が気づけないはずが無い!」

ここ、逆に理解していた人います?
逆じゃないんですよ。

悪人はどうしても、自己を見つめ、反省するチャンスが多くなるのです。
こんな自分を捨ててしまいたいという思いに駆られるのです。
言ったら、神による荒治療です。

だから、悪事をいっぱいしてきた人も、自分はそんな資格など無いなんて思わずに、自分がどういう質であるか、何に捉われているのか、自分に嘘をつく事無く内観して、手放すべきを手放して、ただ身に起こって行く何もかもを受け入れ切るのです。

神の愛とのギャップが大きいから、その気づきのパワーは計り知れません。

さなぎの殻が剥け、美しい蝶が羽を広げるように、生まれ変わるのです。
全く、新しく生まれるのです。

悪人を演じていたのは、それを味わうためだったのです。

きっとそうなります。

なっていくんです。

 

2013-01-17

 

 

[読者BB] こんにちは

こんにちは。 
先日メールをお送りしたものです(一家心中手前で引き返してきたものです、笑)。 
確かに、繋がっております。(^^)
 
 

[花岡] Re: こんにちは

こんにちは。 

体験談は、みなさんを奮い立たせて、勇気を与えてくれます。 
できる範囲でシェアして頂けたらと思います。 

これからもよろしくお願いします。 


[読者BB] 少しだけお教え頂きことが

花岡さま 
お返事頂きましてありがとうございます。 
シェアの件は、近いうちに、改めてブログを立ち上げまして、そこに体験談等を書かせていただこうと思っております。 

いまは、神酔いの後の「苦しみ」の中におります(気づきは、昨年暮れから今年初めに起き、気づきから日は浅いです)。 
私が少し気功の経験があるせいなのか、頭がくらくらして辛くて辛くて困っております。日常生活、特に仕事ができない状態になってしまっています。 
何かよい対処方法をご存知でしたら、お教えいただけないでしょうか。 
「瞑想」でしょうか? 
あるいは、「慣れるしかない」でしょうか? 
 
 

[読者BB] お礼

いまさっき、「願望」さえない、いまの自分の姿を再認識しました。 
それで、いま自分がなぜ苦しいのかも、どうやら分かりました。 
私は、いま、この世、そして、我が身に対する、途方もない切なさに泣いております。 
すべてはどうすることもできないのですね。
 
 

[花岡] Re: お礼

どうしたのでしょうか? 

全てはただ現れです。 
また、全ての現れは神の意図です。 

恐れる事などありません。 
全ては、あなたのために神が作用させているだけです。 

胸の位置に第四のチャクラを観想し、そこに意識を向けて、愛を受け取ればいいのです。 
神の愛はそこからやってきます。 

苦しさがあるなら苦しさを、切なさがあるなら切なさを、そのハートを通じて神に訴えればいいのです。 
ひと度でも神に通じたなら、神はそれを引き受けてくれます。 
ただ、全てを受け入れる、受け入れきると宣言するべきです。 
そうするなら、あなたの全てを引き受けてくれるでしょう。 

神の存在が妄想や思い込みや作り話ではない事を知ったのであれば、神が行為を代行するのを拒んではいけないのです。 
ただその愛、みこころに委ね切り、そこに安らいで癒されていてください。 

次に智慧が、あなたに教え始めます。 
あなたは「全て」という「唯一」というサチダーナンダ、いわゆる絶対者というグルを確信するでしょう。 

落ち着いて、全てを委ね、神の愛を味わって癒されなければなりません。 
喜び、至福に、感謝を捧げて下さい。 

もう何がどうでもいい。 
ただ受け入れる。 
全ては神のみこころによって運ばれていると実感できなければ、再び戦わなければなりません。 

神の愛を頂き、それと同じ愛を、あなたの養うべき家族に、あなたの世界に、いつも向けていればいいと思いますよ。 

神は裏切りません。 
だから、その絶対者を信頼し、あなたも裏切らなければ、神のみこころはあなたを通じて成就されます。

これは宗教ではありません。 

普通に、あたりまえの事です。 

ブログ公開を、楽しみにしております。 


[読者BB] 再度のお礼と、ご報告

お忙しいでしょうに、お返事ありがとうございます。ただただ感謝申し上げます。ブログ主様の仰ること、心の芯までよく分かります。 

私の「苦しみ」は、「悟り」(ほぼ「悟りきった」と申し上げてもよいのだと思います)の境地と、日常生活とのギャップに対するものでした。 
あまりの苦しさに、ついさっきまで、「出家」するしかないのかと思って、出家先を探そうとしておりました(笑)。 
でもふと、また心境が変わりました(何分まだ生まれたての赤子ですので、笑)。 
私も、一つの「区切り」となる納得ができるとこまでは、ブログ主様のように、在家生活を続ける決意をしました。 
この新たな「苦しみ」としっかりと向き合って生きていきたいと思います。 
ただ、この世に対する「切なさ」、これはどうしようもないもので、このまま共に歩んでいくのだろうと思っております。 

ブログ書き始めましたら、ご連絡申し上げます。 

おそらくお察しされてますとおり、客観的に申し上げますと、私の日常生活もまだまだとても楽なものではございません。 

私たちは、似た境遇の中、今生を同時に生きるお仲間であろうと思っております。 
改めまして、今後ともよろしくお付き合い頂けますようお願い申し上げます。
 
 

[読者BB] コメントの一部訂正に来ました

「悟り切った」は言い過ぎですね(笑)。 
正確には、阿羅漢だと思います。 
また寄らせて頂きます。
 
 

[825] 先走ったコメントばかりで

反省しております。 
まだまだ思慮の欠片もございません。 
ブログ主様、皆様、どうぞお笑い下さい。 

それでも、ドタバタとしながら、根っこのところはもう定まっております。 
あとは、「この世の調和」とともに生きてゆくだけなのです。 

ブログ主様、阿羅漢の記事、勉強させていただきました。ありがとうございました。
 
 

[読者BB] 目覚め人の役割

また少し分かったことがありましたので、書かせて頂きたいと思います。 

それは、目覚め人の役割についてです。 
目覚め人は、いつの時代も、宗教系組織の中で修行により目覚める人よりも、一般的な日常生活の中で目覚める人の方が圧倒的に多いものと思われます。 
とすると、目覚め人の「役割」として、まずは、目覚めた時点で各々が置かれている場所、環境の中で、「生きる」ということが大切なのだろうと思いました。 
何らかの展開があるとすれば、その後、導かれるのだろうと思いました。 
(但し、言葉は悪いですが、悟りにより廃人のようになってしまった場合は、これはもうどうしようもないのだろうと思います。が、それでも、極力そうはならないように、しっかりと自己をコントロールできるのが理想なのだろうと思います)。 

と書きながら、やはりまだ、心境の変化と、自分の置かれている現在の環境(特に仕事)との間のギャップに苦しんでおりまして、何とか自分を納得させようともがいているところであります(笑)。 
まだまだ受け切れてない赤子です(笑)。
 
◎この読者BBは、「人生を受け入れてみたら覚醒が起こった」(2019-05-01掲載)の読者BBと同一人物のようですね。(ブログ管理人より)(2019-05-01記)