わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

【時系列 花岡修平】サムサーラ(輪廻)

本当は唯ひとつの世界があるだけで、
そこは方向など無く、果てなど無く、どこまで行っても真ん中で、
何にも無いけど、
あらゆるものがそこにある。
というより、
あらゆるものはそこにしかない。

そこで何かが夢を見る。
唯ひとつの世界の、ある断片が、夢を見る。
長い長い、気の遠くなるほど長い夢。
何億年、何十億年という長い夢をみる。

その夢は、数かぎりない物語で作られていく。
ひとつの夢が終わり、また別の夢に引き継がれる。

夢を見ている者は、ある物語では多くの人を殺し、仇討にあって物語を終えたかも知れない。
それで、次の物語では、前の物語で殺す事の罪を学んだ事で、命を救う夢を見るかも知れない。

大富豪の夢も見たかも知れない。
惨めなシュドラーの夢にも生きたかも知れない。

人を愛し、愛される夢も見たかも知れない。
別の物語では、愛を受け入れられない辛さを生きたかも知れない。

そうやって、
夢を見ている者は、感情、心、精神、善と悪、虚偽と真実、快楽と苦痛、愛しさと憎しみ、
理性、神性、仏性、いろんなものを学んだかも知れない。

一度も目覚めることなく。

そうやって、
夢をみている者は、見るべき学びの夢が終わりに近づき、疑問を持つのだろう。

この生きているという思いは真実だろうか。
この自分と思うわたしは、本当に存在しているのだろうか。

自分ではどうにも関与できないこの運命を、誰が運んでいるのだろう。
物語の作者は誰なんだろう。

会いたい。

それに会えるなら、何にも要らない。

真実を知りたい。

彼に会う事だけを一心に思い、日々の夢を暮らして、

そうやって、
夢をみている者は、夢から覚めるのだろう。

覚めてみると、それぞれの物語は生まれ変わりではなく、
いつだって「ここ」にある自分だった事に気づくのだろう。

覚めてみると、一連の長い長い夢は、ほんの一瞬だった事に気づくのだろう。

本当は唯ひとつの世界があるだけで、
いつか、唯ひとつの世界の、ある断片が、生まれたという夢を見始める。




 2012-03-17

 

 

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