わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

すっぴんが一番きれいです 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 すっぴんが一番きれいです 認知症の母の介護のあい間に、畑の作業をして、そのあい間にブログ書いて、で、初めて見る人を瞬間見ただけでその人がどんな人か、わかってしまうって記事を下書きしたら、なんと、某ブログで、あの方…

「静寂」、そこは何でも捨てられる場所:お答えします「傷つかない私」 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎タイトルの前半部分は、私が本文から借用したこの記事の鍵となるフレーズ。コメント欄から、質問者のお礼の言葉を含め、4つのコメントをピックアップしてみた。Hさんから頂いた記事です お答えします「傷つかない私」 これも別の非公開さんからの質問です…

許す愛:お答えします「境界性人格障害・2」 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎この質問者Kは以前にも何回か質問し、花岡さんは、それを記事にして答えている: shikoutoshi.hatenablog.jp shikoutoshi.hatenablog.jp さらに、これは、コメント欄でのKの質問と花岡さんの答えを私が記事にしたもの: shikoutoshi.hatenablog.jp コメン…

学び知るために体験は現れる【完全版】 花岡修平「真我が目覚める時」

◎この記事は、以前掲載した同名の記事: shikoutoshi.hatenablog.jp の完全版になる。以前の記事は、私が手書きでノートに写したものが元になっており、私流の行替えになっている。KTさんから頂いた記事です。 学び知るために体験は現れる 起こる事すべてに…

偶像崇拝 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎コメント欄の読者の声と、花岡さんの読者のコメントへのお礼の言葉を最後につけ加えておいた。Hさんから頂いた記事です。 偶像崇拝 名称で呼ばれ、あるいは形を有するものは実体ではありません。それはただ自我意識に現れた幻に過ぎません。それらはいずれ…

やっぱり明け渡ししか無いと思うんだ【完全版】 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎この記事は、以前掲載した同名の記事: shikoutoshi.hatenablog.jp の完全版になる。Hさんから頂いた記事です。 やっぱり明け渡ししか無いと思うんだ 誰もがこの世界、宇宙は現実であって、これ以外の世界は無いと捉えるでしょう。マインドの思考はそのよ…

お答えします「境界性人格障害」 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎この記事の質問者Yは、以前掲載した記事: shikoutoshi.hatenablog.jp の質問者Yと同一人物。コメント欄での質問者Yのお礼の言葉と他の読者とのやりとりも最後につけ加えておいた。Hさんから頂いた記事です。 お答えします「境界性人格障害」 Yさん、おひ…

常に神(源泉)を思っているなら神で満たされる 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 常に神(源泉)を思っているなら神で満たされる 善い事を思い続けている事が、善い結果を生み、幸せに繋がる。だから、悪い事を思わず、善い事だけを思いなさい。という人がいたとして、善い悪いの根拠も自分の尺度に頼るしかあ…

苦行について思う事 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 苦行について思う事 仏陀が苦行では悟れないと明言しているにも関わらず、あえて苦行に励む人も多いのです。千日回峰行のように、真言を唱えながら山中を来る日も来る日も駆け回るとか、何日も飲まず食わずで日の射さない部屋で…

外なるわたし、内なるわたし 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 外なるわたし、内なるわたし 我々は、「唯ひとつ」の中で、外なる世界を創りだしています。外なる世界の中で、主体である「わたし」と、客体である「わたし以外」に分けて見ています。外なる世界は、「わたし」と「わたし以外た…

引き寄せの法則はあるのだけれど 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 引き寄せの法則はあるのだけれど 引き寄せの法則というものがあるそうです。もちろん事実です。常に、そのようにして、幸せも、不幸も、悲しみも、辛さも、引き寄せているのです。でも、それは、五感と識で感覚する現象世界の出…

東日本大震災追悼 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 東日本大震災追悼 あれから1年。東日本大震災で亡くなられた多くの御霊に、心からご冥福をお祈りいたします。マーヤ(幻想)というのは、自我意識に働き、世界を現す作用を持つちから。見る事も感じる事も出来ない、超自然のエ…

ハートが開く【完全版】 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎この記事は、2015-10-21掲載の同名の記事の完全版になる。以前の記事は、私が手書きでノートに写したものが元になっており、一部抜け落ちている部分があることがわかった。Hさんから頂いた記事です。 ハートが開く あの瞬間。サバイバルを放棄し、自我とい…

「わたし」と母の関係 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎コメント欄でのある読者との問答をつけ加えておいた。Hさんから頂いた記事です。 「わたし」と母の関係 「わたし」に対する「わたし」の理解は立場によって異なります。「わたし」に完全に陥り、そこで「わたし」を観察する理解。その「わたし」とは何処か…

真実の愛・その2 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎読者のコメントをひとつだけつけ加えておいた。Hさんから頂いた記事です。 真実の愛・その2 我々は生涯の中で、誰かを愛します。きっと誰も愛した事のない人などいないのです。人を愛する事。そのように言うと、すばらしい事だと思います。もちろん、愛す…

ワンネスに気づく【完全版】 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎この記事は、以前掲載した同名の記事(2015-11-04掲載)の完全版になる。以前のものは、私が手書きでノートに写したものが元になっており、私流の行替えになっている。コメント欄からひとつだけコメントをピックアップして最後につけ加えておいた。Hさんか…

どうすれば捨てられるだろう  花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事。コメント欄での読者との問答も最後につけ加えておいた。本文理解に有益です。 どうすれば捨てられるだろう 質問をいただきました。 愛着、執着、失うことへの恐れ・・・ これらをどうやったら捨てられるでしょう? これらをあっさり…

真我に帰るという事【完全版】 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎この記事は、以前掲載した同名の記事(2015-11-03掲載)の完全版になる。以前の記事は、私が手書きでノートに写したものが元になっており、私流の行替えになっている。Hさんから頂いた記事です。 真我に帰るという事 ほんとうは過去も未来も存在しません。…

プンダリーカの花 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 プンダリーカの花 サッダルマ・プンダリーカ・スートラと言われるお経があります。蓮華経と漢訳されています。この部分だけを抜き取って、新興的に興った一派がある事は、皆さん知らない人はいないと思います。プンダリーカとい…

作用反作用と次元と 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 作用反作用と次元と ほんとうは、唯一つがあるだけで、つまり、1があるだけで、それが身体という窓を境にして、+1と-1という「合わせ鏡の世界」を見ています。作用反作用の法則と言います。合わせ鏡で反射されたエネルギー…

集合意識ではなく、拡散意識なのです 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 集合意識ではなく、拡散意識なのです みなさんのコメントには、いつも励まされます。ありがとうございます。お返事も差し上げず、無礼をお許しください。また、質問に適切な答えをしてくれる方もいらして、とても助かっておりま…

嘘はなんて悲しいのでしょう 花岡修平「真我が目覚める時」

◎KTさんから頂いた記事です。 嘘はなんて悲しいのでしょう 人は嘘をつきます。保身のため、自己保存のために嘘をつきます。それが悲しい自分を作り上げています。そうは思いませんか?なぜ、ありのままの自分であってはいけないのでしょう。嘘をつけば、免れ…

即身成仏 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。コメント欄でのある読者との問答を最後につけ加えておいた。 即身成仏 仏という言葉があって、それは何か?という解釈に、人は実に様々な意味づけをしています。国々の単位でも、個人の単位でも、大きく、また微妙に異なっていま…

「シュリ・ラーマクリシュナ」純粋な幼子へ 花岡修平「真我が目覚める時」

◎美しい文章だ。読者たちの賞賛のコメントを最後につけ加えておいた。Hさんから頂いた記事です。 「シュリ・ラーマクリシュナ」純粋な幼子へ わたしには静寂に入るというより、静寂がわたしを包み込むように思える。そこに入ろうと思う事もなく、突然そこに…

伝えてあげられない悔しさは、寂しさでもあります【完全版】 花岡修平「真我が目覚める時」

◎この記事は、以前掲載した同名の記事(2015-10-24掲載)の完全版になる。以前のものは、私が手書きでノートに写したものが元になっており、私流の行替えになっている。KTさんから頂いた記事です。 伝えてあげられない悔しさは、寂しさでもあります どうすれ…

わたしはどこに 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎コメント欄での、もう一人の覚者読者Hと他の読者とのやりとりが、花岡さんの本文同様に興味深い。Hさんから頂いた記事です。 わたしはどこに 身体が自分だと誰もが思っています。ですが、身体は物質で出来ているという事も、だれも知っている事です。物質…

コメントに感謝致します 花岡修平「真我が目覚める時」

◎KTさんから頂いた記事です。 コメントに感謝致します 皆さんの温かい励ましの言葉に、とても大きな勇気と力を頂きました。心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。わたしと同じように、介護を経験された方もおられて、また、読者の中には介護進…

インドラの網 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。最後にコメント欄での読者とのやりとりもつけ加えておきました。 インドラの網 この世界に流れて行く物語は、偶然などでは決してない。誰もがその中の主人公であって、その人のための物語が、他の全ての人のための物語と完全にマ…

出家 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 出家 出家というのは、世俗のあれやこれや、一切を捨てて家無きに至るという事。一切を捨てる。つまり放棄をして、真実を知るために探求の生活に入るという事ですが、日本に於いては単に仏道の修行のために寺に入るという使われ…

神のお供をして 花岡修平「真我が目覚める時」

◎KTさんから頂いた記事です。 神のお供をして 人は誰であろうと、ついには神を知る。受け入れるなら、そうなる。 あるがまま、一切を、そのあるがまま受け入れて、わたしという意識を、その意識を現し来る基にお返しするだけでいい。神はそこにいらっしゃる…