わたしの終わり

覚醒と悟りの言葉

花岡修平

引き寄せの法則はあるのだけれど 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 引き寄せの法則はあるのだけれど 引き寄せの法則というものがあるそうです。もちろん事実です。常に、そのようにして、幸せも、不幸も、悲しみも、辛さも、引き寄せているのです。でも、それは、五感と識で感覚する現象世界の出…

東日本大震災追悼 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 東日本大震災追悼 あれから1年。東日本大震災で亡くなられた多くの御霊に、心からご冥福をお祈りいたします。マーヤ(幻想)というのは、自我意識に働き、世界を現す作用を持つちから。見る事も感じる事も出来ない、超自然のエ…

ハートが開く【完全版】 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎この記事は、2015-10-21掲載の同名の記事の完全版になる。以前の記事は、私が手書きでノートに写したものが元になっており、一部抜け落ちている部分があることがわかった。Hさんから頂いた記事です。 ハートが開く あの瞬間。サバイバルを放棄し、自我とい…

「わたし」と母の関係 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎コメント欄でのある読者との問答をつけ加えておいた。Hさんから頂いた記事です。 「わたし」と母の関係 「わたし」に対する「わたし」の理解は立場によって異なります。「わたし」に完全に陥り、そこで「わたし」を観察する理解。その「わたし」とは何処か…

真実の愛・その2 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎読者のコメントをひとつだけつけ加えておいた。Hさんから頂いた記事です。 真実の愛・その2 我々は生涯の中で、誰かを愛します。きっと誰も愛した事のない人などいないのです。人を愛する事。そのように言うと、すばらしい事だと思います。もちろん、愛す…

ワンネスに気づく【完全版】 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎この記事は、以前掲載した同名の記事(2015-11-04掲載)の完全版になる。以前のものは、私が手書きでノートに写したものが元になっており、私流の行替えになっている。コメント欄からひとつだけコメントをピックアップして最後につけ加えておいた。Hさんか…

どうすれば捨てられるだろう  花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事。コメント欄での読者との問答も最後につけ加えておいた。本文理解に有益です。 どうすれば捨てられるだろう 質問をいただきました。 愛着、執着、失うことへの恐れ・・・ これらをどうやったら捨てられるでしょう? これらをあっさり…

真我に帰るという事【完全版】 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎この記事は、以前掲載した同名の記事(2015-11-03掲載)の完全版になる。以前の記事は、私が手書きでノートに写したものが元になっており、私流の行替えになっている。Hさんから頂いた記事です。 真我に帰るという事 ほんとうは過去も未来も存在しません。…

プンダリーカの花 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 プンダリーカの花 サッダルマ・プンダリーカ・スートラと言われるお経があります。蓮華経と漢訳されています。この部分だけを抜き取って、新興的に興った一派がある事は、皆さん知らない人はいないと思います。プンダリーカとい…

作用反作用と次元と 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 作用反作用と次元と ほんとうは、唯一つがあるだけで、つまり、1があるだけで、それが身体という窓を境にして、+1と-1という「合わせ鏡の世界」を見ています。作用反作用の法則と言います。合わせ鏡で反射されたエネルギー…

集合意識ではなく、拡散意識なのです 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 集合意識ではなく、拡散意識なのです みなさんのコメントには、いつも励まされます。ありがとうございます。お返事も差し上げず、無礼をお許しください。また、質問に適切な答えをしてくれる方もいらして、とても助かっておりま…

嘘はなんて悲しいのでしょう 花岡修平「真我が目覚める時」

◎KTさんから頂いた記事です。 嘘はなんて悲しいのでしょう 人は嘘をつきます。保身のため、自己保存のために嘘をつきます。それが悲しい自分を作り上げています。そうは思いませんか?なぜ、ありのままの自分であってはいけないのでしょう。嘘をつけば、免れ…

即身成仏 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。コメント欄でのある読者との問答を最後につけ加えておいた。 即身成仏 仏という言葉があって、それは何か?という解釈に、人は実に様々な意味づけをしています。国々の単位でも、個人の単位でも、大きく、また微妙に異なっていま…

「シュリ・ラーマクリシュナ」純粋な幼子へ 花岡修平「真我が目覚める時」

◎美しい文章だ。読者たちの賞賛のコメントを最後につけ加えておいた。Hさんから頂いた記事です。 「シュリ・ラーマクリシュナ」純粋な幼子へ わたしには静寂に入るというより、静寂がわたしを包み込むように思える。そこに入ろうと思う事もなく、突然そこに…

伝えてあげられない悔しさは、寂しさでもあります【完全版】 花岡修平「真我が目覚める時」

◎この記事は、以前掲載した同名の記事(2015-10-24掲載)の完全版になる。以前のものは、私が手書きでノートに写したものが元になっており、私流の行替えになっている。KTさんから頂いた記事です。 伝えてあげられない悔しさは、寂しさでもあります どうすれ…

わたしはどこに 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎コメント欄での、もう一人の覚者読者Hと他の読者とのやりとりが、花岡さんの本文同様に興味深い。Hさんから頂いた記事です。 わたしはどこに 身体が自分だと誰もが思っています。ですが、身体は物質で出来ているという事も、だれも知っている事です。物質…

コメントに感謝致します 花岡修平「真我が目覚める時」

◎KTさんから頂いた記事です。 コメントに感謝致します 皆さんの温かい励ましの言葉に、とても大きな勇気と力を頂きました。心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。わたしと同じように、介護を経験された方もおられて、また、読者の中には介護進…

インドラの網 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。最後にコメント欄での読者とのやりとりもつけ加えておきました。 インドラの網 この世界に流れて行く物語は、偶然などでは決してない。誰もがその中の主人公であって、その人のための物語が、他の全ての人のための物語と完全にマ…

出家 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 出家 出家というのは、世俗のあれやこれや、一切を捨てて家無きに至るという事。一切を捨てる。つまり放棄をして、真実を知るために探求の生活に入るという事ですが、日本に於いては単に仏道の修行のために寺に入るという使われ…

神のお供をして 花岡修平「真我が目覚める時」

◎KTさんから頂いた記事です。 神のお供をして 人は誰であろうと、ついには神を知る。受け入れるなら、そうなる。 あるがまま、一切を、そのあるがまま受け入れて、わたしという意識を、その意識を現し来る基にお返しするだけでいい。神はそこにいらっしゃる…

燔祭(アブラハムとイサク) 花岡修平「真我が目覚める時」

◎KTさんから頂いた記事です。 燔祭(アブラハムとイサク) 「神はアブラハムを試みて彼に言われた。あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地へ行き、わたしが示す山で彼を燔祭として捧げなさい。」燔祭とは、生き身を焼き尽くす事で神に…

幸せになりたいなら 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 幸せになりたいなら だれでも自分の意識に現れた世界という物語の主人公ですその世界は、自我から見ると不幸な世界かも知れません。でも、その不幸という断定は、物語の主人公である自分(自我)による断定で、結局、世界は自分…

神という名前のものはない 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 神という名前のものはない 神と言えば違和感をおぼえる人が多い。神? ああ、ダメダコリャ ・・・ みたいになる。そうなんだよね。神は概念であって、いつのまにか自分の意識に刷り込まれた意味不明な虚妄だから。それぞれが、…

お答えします「夢を持つことについて」 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎質問者のお礼の言葉を最後につけ加えておいた。一部の誤変換、誤字と思われるものについては、私の判断で修正しておいた。助詞の使い方が不適切と思われる部分もあるが、それは「花岡語法」として、そのままにしておいた。Hさんから頂いた記事です。 お答…

今があるだけ 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 今があるだけ 三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提過去・現在・未来に現れる御仏達は、内在された偉大なる智慧によって悟りを完成された。という程の意味でありましょうか。アポロキティ・シュバラーがシャーリープト…

天使とか悪魔とか 花岡修平「真我が目覚める時」

◎KTさんから頂いた記事です。 天使とか悪魔とか 誰か見た事があるでしょうか。 天使とういうのは、男性格だそうです。 そうであるなら、悪魔も男性でしょう。 ルシエルは、天使なのですから。 まあ、そういう神話のような事は、脇に置いて考えてみるのです。…

新しく生まれる事 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎KTさんから頂いた記事です。 新しく生まれる事 神を悟る事、または現実世界が現れる絶対根源を、観念ではなく真実悟る事は、宗教とは関係なく起こるのではないでしょうか。 それは、悟れるときには悟ってしまう、それだけの事です。 悟るために何かをしよう…

希望とか夢とかについて 花岡修平 「真我が目覚める時」

◎KTさんから頂いた記事です。 希望とか夢とかについて 起こる事象は、全て神のみこころによって起こって行く。 人に現れ来る事を、またそれに関わって行く自分の運命を、人は自らコントロールできるでしょうか。 そのような起こって行く事になるであろう法則…

体験したいからというより、必要な事が与えられるのです【完全版】 花岡修平「真我が目覚める時」

◎この記事は、「必要なことが与えられるのです」(2015-11-01掲載)の完全版になる。コメント欄での質問者と他の読者たちとのやりとりが非常に密度が濃く興味深い。一般読者は青字、質問者は緑字にしておいた。Hさんから頂いた記事です。 体験したいからと…

味わい知る事の尊さ 花岡修平「真我が目覚める時」

◎Hさんから頂いた記事です。 味わい知る事の尊さ 自我と言っても、そもそも自我とは何か?と考えると、掴みどころのない架空の物のような気がします。「わたし」という感覚は、だれもがわかるでしょう。「わたし」の事は、「わたし」が一番よく知っていると…